2010年11月22日月曜日

ローイ ローイ クラトーン♪

今日は、タイのお祭り、「ローイ・クラトン」についてご紹介したいと思います。

この時期、街のいたるところで「ローイ ローイ クラトン♪」とこのお祭りを歌った軽快な曲が流れていますので、頭から離れず、気づくと口ずさんでしまっています。ついブログのタイトルまで……

ローイ・クラトンは、タイの伝統的な行事のひとつで、4月のタイ正月:ソンクラーンと並ぶ大きなお祭りです。
ソンクラーンが“水の祭り”だとすれば、ロイ・クラトーンは“火の祭り”という感じだなあ、と私は勝手に思っています。
(ソンクラーンについては、以前、きむろぐでもちょっぴりご紹介しましたので、興味のある方は是非読んでみてください。http://kimlogoflink.blogspot.com/2010/04/blog-post_15.html )

日本語では「灯篭流し」と訳されることもあるこのお祭り、“ローイ”は流すという意味で、“クラトン”は、蓮の花などを型どって作った灯篭のことを指します。毎年11月の満月の晩に、クラトンを川へ流し、川の女神に感謝を捧げるのです。



〔写真〕花で飾られた、きれいなクラトン

ローイ・クラトンはタイのほとんどの地域で行われているそうですが、とくに有名なのはスコタイ、アユタヤ、そして私の住むチェンマイです。
チェンマイ市内の旧城壁跡のお堀や、門の前の広場では、1ヵ月ほど前から可愛らしいオブジェ(?)が作られています。これが、夜にはライトアップされて、とてもきれいです。


〔写真〕チャンプアック門の前。“チェンプアック”は白象という意味です。ちゃんと白い象がいます。


今日がローイ・クラトンのメインの日(満月)なのですが、私は一足先に昨日、ピン川でクラトンを流してきました。

ピン川のほとりには、きれいにデコレートされた山車(だし)も出ていたり、クラトンを流すだけでなく、コムロイという大きな提灯のような、気球のようなものをあげる人もたくさんいたり、とても賑やかでした。コムロイは、中の空気を熱して、空へ飛ばすのですが、このお祭りの間は幾つもいくつも夜空にあがって、オレンジ色の星のようできれいなんです。



〔写真〕象に乗った“王様”の山車




〔写真〕飛び立つ前のコムロイ


ただ、このお祭りで気をつけなくてはいけないのは爆竹と花火!!
お祭り騒ぎのみなさんが、爆竹を鳴らしまくったり、ロケット花火を飛ばしまくったり、賑やか過ぎて……
昨日は、爆竹の音にびっくりし過ぎて寿命が縮まるかと思いました。毎年けが人も出ているようですし、ローイ・クラトンに参加される方は気をつけてください。

お祭りや、賑やかで美しいものが大好きなタイのみなさんが私は大好き(私もお祭り大好き! 賑やかでキラキラしたものが大好き!)なのですが、
川にあまりにもたくさんの花火や爆竹が投げ込まれ、ちょっぴり川の女神さまのことが心配になってしまいました……




(ちぐさ)




さて、このお祭りは、在京タイ王国大使館のホームページでも説明されています。興味のある方はチェックしてみてください。
http://www.thaiembassy.jp/rte1/index.php?option=com_content&view=article&id=117:2009-08-28-08-08-10&catid=42:2009-08-28-05-15-19&Itemid=231

2010年11月13日土曜日

『冬の小鳥』

タイトルにある名前の映画、もうご覧になりましたか?
大阪、東京での上映も、もうすぐ終わりです。
よかったら、ぜひどうぞ。



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2010年10月12日火曜日

もうすぐ帰国講演会です!

 じき、会長の木村が帰国して、関西と関東の各地で講演をして周ります。全部で17回。いつものように、支援者のみなさんに現時点までの活動の報告をすると同時に、「環境と人権、わたしたちのくらし」などについて、共に考えられる機会になればと思っています。
 今回はNPO法人レインボーの協力のもと、前回のこのコーナーにも書いたとおり、“天の浮舟”の上映会も多数行います。
 また、10月23日(土)に兵庫県武庫川のマイチケットの事務所を借りて行われる“北タイのハンディクラフト展示市”では、北タイの農家に伝統的に伝わる織の技術を生かし、森の恵みから染め上げた、たくさんの草木染めの商品をそろえてみなさんをお待ちしております。現地の写真をスライドで上映するほか、スタッフが終日みなさんのおいでをお待ちしております。 
 ハンディクラフト:
  http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/subpage06.html

 一般に公開されている講演会のスケジュールについては、トップのページに日程をあげておきました。お時間の許す方はご確認の上、ぜひおいで下さい。
 スケジュール:
  http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/index.html

お会いできるのを楽しみにしております。



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2010年9月28日火曜日

豊かさについて考える エコロジーシアター“天の浮舟”

今年の夏もたくさんの人がチェンマイを訪ねてくれました。
スタディーツアー。
日本からの訪問者に、国境近くの少数民族の村で、安全かつ楽しくさまざまな経験をしてもらう。
農家でのホームステーやメコン川のほとりに立つことを通して、環境や開発の問題などについて考えてもらう。
で、最終的には帰った後の日本でのくらしを見直してもらう。
決して豊かさを放棄するというのではなく、もう一つの豊かさ、ほんとうの豊かさみたいなものについて考え、等身大の何かに気づいてもらう。
これがLinkのスタディーツアーの目的とするところ。

最近はこんなことを考えるきっかけになる映像作品などもあって、たとえば映画のアバターは大ヒットしましたね。
エコロジーシアターの“天の浮舟”は、手軽に見ることができ、かつ深~く考えさせられる作品です。
10月の帰国講演では、主にこの作品を参加者に見てもらいながら一緒に考えることにしています。
みなさんも是非ご覧になってみてください!
◆天の浮舟 http://rainbow.gr.jp/ukifune/

(この作品、当然と言えばそうなのですが、スクリーンで大きくしてみると受ける印象がまるで違います。関心のある方はぜひ講演会においで下さい。日程はHOMEのページをご覧ください)



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2010年9月20日月曜日

夏の終わり

去年と打って変わって、よく雨の降る雨季でした。
日本も異常な酷暑だったようですが、こちらの雨も記録的なものだったようです。

8月16日に日本大学の佐渡友ゼミのスタディーツアーが始まりました。
このゼミの受け入れは今回で5期目になりました。
なぜか今年も気持ちのいいヤツらばかりの一団は1週間後、次の目的地カンボジアに向かって眩しいばかりの笑顔を残して旅立って行きました。

横浜から2つのNGO関係者を受け入れて講演をし、自動車の免許を更新しました。
スタッフの間では村での活動方法についてずいぶん話し合い、自由学校の勉強会も続けています。

9月12日から18日までは京都大学の大学院生の授業を受け入れ、村を周ってきました。
20年来の友人が苦闘の末、ついに京大の教員になって、学生を連れて来てくれました。
時に学生も交え、かつて自分たちが学生だった時のように、毎晩遅くまで議論をしました。
いつにもまして時の経つのが早く感じられ、7日間は瞬く間に過ぎました。
北タイの山の貧困問題はちっとも解決されませんが、こうして一緒にそれに取り組み、共に悩み、時に憤慨できる仲間がいるということは、そしてそんな仲間と時間を共有できるということは、どこか寂しく、どこかいいものでもあります。

あれほど止むことなく降った雨も少しずつ中休みが長くなってきました。
忙しかった夏も終わりに近づいているようです。
そろそろ10月の帰国講演の準備を始めることにしようと思います。


〔写真〕国境にて。その名も ”日本大学佐渡友ゼミ ! ”


〔写真〕京大生と訪れた “国民党の村”ドーイメサロン



〔写真〕 ドーイメサロン村の 第101 茶 プランテーション


※写真をクリックすると、拡大して見ることができます。



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2010年8月16日月曜日

夏休みに入ってからのLink

また更新するのが久々になってしまいました。
スタッフ一同、とても忙しく活動にいそしんでいます。

夏休みということもあって、日本からNGOや研究者、学生、“なかへち国際交流の会”のメンバーや大学のスタディーツアーの訪問を次々に受けています。
この他にもスタッフ研修の実施、自由学校の開催、ペ村での地図作成など、さまざまなことを行っています。

7月30日からはLinkのスタディーツアーを実施。
6名の参加者と村を訪れ、村人やLinkの活動を見て回りました。

8月6日からは、環境教育促進事業として昨年より駒澤大学と継続的に行っているホアファイ村での水質調査を、村人と同大の田中先生も一緒に行いました。

きょうはサムニアンがバンコクで研修に参加している他、夜には日本大学の学生さんたちが来て、明日から村を周ることになっています。



〔写真〕スタディーツアーでノンパサン村を訪れました。村長との一コマ




〔写真〕ホアファイ村で行ったファーン川の調査。流量を計測していることろ



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2010年7月24日土曜日

事務所移転!

こんばんは。
ようやく雨季らしく雨が降る日が続き、うれしいです。
雨が降ったら「断然涼しい!」ですから。

きょうは、Linkスタッフ総出(+引っ越し業者の人々、お手伝いのボランティアさ
ん)で事務所の引っ越しでした。
木村会長をリーダーに、一週間前から少しずつコツコツ荷物の梱包をすすめて、迎えた今日。
荷物の搬出の時には雨にも降られず、無事に搬入が終わって一安心です。

あとは、たくさんの書類や本や地図などをあるべきところに入れるだけ。これがまた一苦労なのですが、Linkスタッフ持ち前のチームワークのよさで片付けます。

前の事務所では、日々の活動はもちろんのこと、村や日本からたくさんの人が会いに来てくれたり、「難しいよう」と言いながらも大好きなチェンマイ自由学校の勉強会をしたり、泣いて笑って、いろんなことがありました。

そういえば、仕事が終わって帰ろうとしたら、事務所前の駐車場にゾウが停まっ
てた!なんてことも。

私には、思い出が詰まった場所なので、ちょっぴり淋しいけれど、新しい事務所でも、これまで以上にがんばります!!
今後ともご支援の程よろしくお願いいたします。


◆Link チェンマイ事務所の住所・電話番号が変わりました◆
 新住所:8/15 Mu3, T.Changphuak, A.Muang, Chiang Mai THAILAND
 ※新しい電話番号については、設置が完了し次第お知らせします。






                〔写真〕頼もしいお兄さんがた



               〔写真〕チームワークの良さが、売り



(ちぐさ)


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2010年7月22日木曜日

すっかり雨季のチェンマイより

毎日のように、雨が降るようになっています。
真っ青な空に入道雲がムクムクと立ちあがり、午後になると雷とともに滝のような雨が降ります。
かと思えば、山が多いせいでしょうか、北タイでは時には1週間近くも曇天が続き、雨の降ったり止んだりが続くこともあります。

村の地図作りに加え、夏休みを前にスタディーツアーの準備などに追われています。

去る5~6月には関西と関東の20ヶ所で講演やワークショップをしましたが、そのうちの一つで行った講演の内容を掲載していただきました。

http://blhrri.org/info/koza/koza_0211.htm

よかったらご覧ください。

(き)

2010年6月29日火曜日

森の出家

日曜日に、サンカンペーン郡にあるペ村で、“森の出家”に参加してきました。
森の出家。スタディーツアーに参加された方はご存知かもしれません。

この儀式は、その名の通りに木を出家させるものです。僧侶は人間が出家する時と同じようにお経をあげ、僧侶と村人みんなで木に布を巻いていきます。巻く布の色は、タイの仏教僧が着る袈裟と同じオレンジです。



        〔写真〕木に布を巻く様子(ぺ村 村長)



           〔写真〕“袈裟”を着た木


こうすることによって、木の一本一本が、人々から尊敬され大切にされる僧侶と同じになり、「この木を伐るのをやめましょう」というメッセージを打ち出すことができます。森の出家は、森林保全の活動の一つなのです。
また、出家した木が伐られにくくなるだけでなく、この行事を通して森林の大切さや、森を守る活動を村や周りに啓発していくことも、この活動の大事な目的となります。

私とサムニアンがぺ村に着いた時にはスピーカーから大音響で音楽が流れていて、お祭りのように賑やかでした。7人の僧侶、たくさんの村人と一緒に、私も木に“袈裟”を巻かせてもらい、振る舞われた料理をみなさんといただいて、家路につきました。

(ちぐさ)



             〔写真〕森は大切

2010年6月27日日曜日

チェンマイ帰還

1ヵ月以上もブログを放り出し、日本に帰国していました。
関西で、関東でお世話になったみなさま、今回もほんとうにありがとうございました。

きのう朝5時過ぎに東京の実家を出発。
香港、バンコクを経由して、日本時間の午後10時(タイ時間の午後8時)にチェンマイ空港に着きました。
空港から自宅までは車で15分(チェンマイは市内のたいていの場所に20分もあれば行けるのです)。

33日間。今回の帰国は8年前にこちらに来て以来、最長のものとなりました。

静かな夜を迎えています。
帰国が長かったせいか、この静けさを打ち破るようなトッケーの鳴き声がずいぶん懐かしく感じられます。
北タイでは他にトクトー、トゥッケーなどと呼ばれる鳴き声の正体は、トカゲです。
それもけっこうデカイ。

我家にもいて、久々のブログを書くために、いつも夜になると出没するところ(これを書いている私の部屋のすぐ外側の壁)にカメラを持って行ってみました。
夜しか現れないのでどうかと思ったのですが、ちゃんといたいた。
体調は30cmくらい。

トッケーの名前はその鳴き声から来たもので、数回繰り返し鳴くのが特徴です。
初めての人はみな驚きますが、「続けて7回鳴くのを聞くとい良いことがある」なんてジンクスがあったり(たいてい4~5回で終わることが多い)、タイの人たちにはとても馴染みのあるキャラクターなんです。

ナント、これを書いているたったいま、本日最初のご発声、しかも7回鳴いてくれました!!
これ読んでくれてる皆さんにもきっといいことがありますよ!

チェンマイでも引き続き活動に精進したいと思います。
どうかよろしくお願いいたします。

〔26日タイ時間午後10時30分記〕
(き)




〔写真〕怖い? かわいい? 我家の守り神、トッケーさま
      *写真をクリックすると、画像を大きくして見ることができます

2010年6月26日土曜日

おひさしぶりです。

ずいぶん久しぶりの投稿になってしまいました。
千草です。
チェンマイの今年の夏は本当に暑くて、体がびっくりしていました。
もう雨季のはずなのに雨が少なくて、暑い!! でも、数日前から雨もちょっとずつ降りだしています。


木村会長が講演のために帰国していましたが、きのう無事にチェンマイに戻ってきました。

会長の帰国講演中も、私はスタッフのサムニアンとチェンマイ事務所で元気に働いていました。
サムニアンは活動村を積極的に訪れて、GPSで村境や共有林の境界を測位して回っています。私はもっぱら会計処理作業や、さまざまな書類の整理など事務処理に追われる毎日でした。
私たちのような小さなNGOは、事務も現場での活動も1人でやらなくてはいけないことがよくあります。「なんて忙しいんだ!!!」って思う事もたくさんありますが、本当に“充実”しています。


あるインターンに、
「千草さんが村にも行っているのはもちろん知っています。でも、事務所での作業がずっと続く時、どうやってモチベーションを保っているんですか?」
と聞かれたことがあります。


確かに、ちょっと目には、私が単にパソコンや書類に向かっているだけに見えるかもしれません。でも、そのパソコンや書類の先には、必ず村がつながっているんです。村での活動をよりよいものにするために、大切なことなんだと思っているから、そう言った意味での「モチベーションを保つ」必要がないと思っています。村でも、事務所でも「わくわく」する瞬間がたくさんあるのです。

先日も、「村と事務所がつながってる!!」と、私をわくわくさせてくれた出来事がありました。

6月11日に、活動中の村の一つ、ノンパサン村のホイナムディップ集落の方たちが、農業研修でチェンマイにやってきたついでに、8人で事務所に会いに来てくれたのです。サムニアンが、プロジェクターを使って衛星写真などを皆さんにもみてもらい、地図作成や、私たちの事務所での仕事について説明しました。


私は手が離せない仕事があって少しだけしかお話しできなかったのですが、彼らの帰り際、私が
「オボ ウジャ(ラフの言葉の“ありがとう”。※ホイナムディップはラフの集落です)」
と声をかけるとひとりが「オボ ウジャ」と返してくれ、また別のおじさんが「オボ ウジャ」と言ってくれたので私も返し、またまた別のお兄さんが「オボ ウジャ」と言ったので、私も… という「オボ ウジャ合戦」をしました。

その時の村の方々の表情がとっても印象に残っています。

その顔に「ヤラレタ!!」と、感じました。ひとり事務所で髪を振り乱して、ものすごい量の事務処理と格闘していましたが、そんな時でもにこにこ楽しくしていたいなあ、と思わされたのです。そんな顔だったのです。そして、私がこうやって事務所でやっていることは、「村につながってる!」と、改めて感じることができました。


チェンマイに来て1年経ちました。村の人や、いろんな方々に可愛がってもらい、支えてもらい、私はとっても幸せだなあと思わずにはいられません。
これからもがんばります。

あしたはペ村というところで“森の出家”に参加してくる予定です!!
“森の出家”については、次回ブログに詳しく書きます。よろしければ、また読んでいただければ嬉しいです。


あしたが楽しみです。



     〔写真〕怖い顔(?)の優しい人たち。「オボ ウジャ!!」※前列中央はサムニアン

2010年5月10日月曜日

あ・つ・い !

なんか最近、気候ネタばかりで恐縮です。

いや、活動していないわけではありません。
4月30日には唯一のピン川流域にある活動地スィーデンムアン村でも“村の百科事典”を完成させ、村人に渡してくることができています。
先週はついにメーアイ郡ノンキーノックヤン村の地図もでき、09年度から続けている村は、あと残すところ2つとなっています。
2010年度の目標は、ファーン川流域を出て、チェンマイ県内の各地で新規の活動を始めることです。
来週には早速その一つ目の村に行って、村長らと話し合いを持つことにもなっています。
ホームページのトップにもあるように、じきに帰国し、約20ヶ所で講演させていただく他、帰国中は打ち合わせなどが山のように入っており、その準備にも追われています。

それにしても、暑い。
あれは確か4月17日のブログに 「暑いだけ」 とか 「ぜんぜん楽」 とか書いた気がするのですが、あの時点では、じきに雨も来て、過ごしやすくなるという経験則に基づいた “希望的観測” もありました。
事実、例年なら前回(5月3日)に書いたような状況から、次第に雨が増えていくのですが、今年はなかなかそうなってくれないのです。

わが家でも、朝起きれば35度。日中は40度前後。
朝起きると、寝床は寝てる人型に汗びっしょりの状況。
今日9日は日曜ですが、チェンマイ自由学校の勉強会で事務所に行きました。
事務所に着くと近所のおじいちゃんが寄って来て、 「この暑さで、ワシャぁ日に5回水浴びをしているよ」 というのを羨ましく聞いていました。

仕事をしていると、手の甲からも汗が滴り落ちる暑さ。
いやぁ、大阪の夏が懐かしいです。
でもそういえば、さすがに仕事する時はエアコンをつけてたよな~ぁ。

注 : この記事を書いているのは9日の午後10時過ぎなのですが、日本との時差が2時間あるため、タイトルの上の日付は10日になると思います。        
                          

2010年5月3日月曜日

風、ときどき雨・・・

みなさん、大型連休、どうしていますか?

チェンマイですが、最近は午後になると強い風が吹き、ずいぶん長いこと咲き誇ったゴールデンシャワーの花を散らして地面を黄色くしています。
昼ごろから発達した入道雲が、毎日どこかで雨を降らします。

「きのうは雨、降ったか?」

そんな挨拶が交わされるようになりました。
雨季と違って、市内のどっかで降っても他はぜんぜんということが多く、そんな挨拶になるのです。

「きのうは風が強くて埃には往生したが、雨ときたら一粒も降らなくてな、家ん中じゅう砂だらけ、エライ目にあったわ。で、お前ンとこはどうだったい?」
「ウチかい? こっちは降ったあ~。降った、降った! すっかり涼しくなって、お陰でよく寝られたよ」・・・とか。

こんな状況をタイ語で “トック・マイ・トゥア” なんて言います。
「(雨は)すべての場所に降らず」 というような訳になるのですが、「世の中、不公平」 なんて意味にも使ったりします。

毎日雨に振り込まれる本格的な雨季まではまだまだですか、あの懐かしい土の香り、当分は雨のたびに、天の恵みに触れられたような、何かうれしい気持ちがすることでしょう。

2010年4月20日火曜日

がんばれ、チベット!

大地震の起こったユイシュー(玉樹)は、かつて学生時代に行ってみたいと思ったことのある町の一つだ。
結局この町を訪れることはなかったが、他のいくつもの町を訪れ、たくさんの人に、とてもお世話になった。

いまでも忘れることのできない出会いがたくさんある。
美しい自然と、独自の文化、優しい人々。

掛け替えのないたくさんの思い出をもらったチベットに、何一つできない自分がもどかしい。
せめて、ひとつでも多くの命が救われ、一日も早い復興がかないますように。

2010年4月19日月曜日

唯一の・・・・

今月12日から、アメリカのワシントンで“核保安サミット”が開かれていた。
日本発のニュースを見ていてしばしば強調されるのが、「唯一の被爆国として」というフレーズだ。
いずれの立場であろうと、武器としての核の使用に反対することは大切。
でも、何か引っかかる。

人類史上初めて原爆実験が行われたのは、アメリカのネバダ州。たくさんの人が被曝した。
ビキニ環礁で第五福竜丸が水爆実験に遭遇した時には、一帯で2万人からの被曝者がでたという。
中国もロシアもフランスも、核兵器の保有国で核実験をしなかった国はない。
そのたびに、実験場がその国の中であろうが、よその国でやったものであろうが、はたまた信託統治領なんぞであろうが“死の灰”が降り、必ず多くの人が被曝し、そして今も苦しんでいる。

被「爆」と被「曝」の違いが重要だ、ということなのだろうか。
なんか、どこかピントがズレているような気がするのは、私だけだろうか。
“ヒバク”したかどうかでなく、もっと普遍的な視点から積極的な取り組みを進めていく力が日本にはあるのではないかと思うのだが。

2010年4月17日土曜日

ゴールデンシャワーの“夏”

季節の花ゴールデンシャワーが、名前の通りの鮮やかな黄色の花房を風に揺らしながら咲き乱れ、街のあちらこちらを黄色く染めています。
雨は一向に降らず、太陽は頭の上に近づき、暑い毎日が続き、日中の気温は40度近くにも。



〔写真1〕ゴールデンシャワーは街中に植えられている。水かけ祭りの際に撮った写真。後ろの黄色いのがそうで、北タイ語では“乾風花”。
*写真をクリックすると、画像を大きくして見ることができます



でも、私はあまり辛くありません。
理由の一つは湿度が比較的低いから。
日向はきついですが、日陰に入れば扇風機だけでだいじょうぶ。
東京で育ち、かつて大阪の夏を4回、内2回はエアコンなしで過ごした経験のある私には、こっちの方がぜんぜん楽!

もうひとつは恐らくですが、最近運動しているから。
ずいぶんめちゃくちゃな生活が祟って医者からさんざん言われ、止むを得ず少しずつ体を動かし、病みつきになり、けっこう体重も減って、いつになく楽勝な“夏”を過ごしています。

思えばここ数年、柄にもなく“夏”になると食欲が減退し、体重まで多少減るようになっていました(もちろん雨季が来ると、元の値を超えるリバンウンドが待っている状況の繰り返しだったのですが)。
しんどくて仕方がなかった夏。
ところが気づけば今年はなぜか、暑いだけ。

12月、さんざん言う(言ってくださる)医者に「だったら運動してやろうじゃぁないですか~」とは言わないですが、それなりに運動すると宣言して4ヶ月。
年末の検査では、血圧、中性脂肪、善玉・悪玉コルステロール、何一つとっても不合格だったのを、先週は全部合格にすることができました。
先生も、スタッフと一緒にニッコニコしながら「うらやましい」だの「素晴らしい」だの言ってくれました。

来年の“夏”も、いまの私でいられるといいのですが・・・・



〔写真2〕大仏塔寺の仏塔を背景に(チェンマイ) 



  

2010年4月15日木曜日

サワッディー・ピーマイ!!

サワッディー・ピーマイは、「新年おめでとう」という意味のタイ語です。
きのう13日から15日までが、タイでは旧正月の期間にあたり、国中がお祭りムードに沸きます。

もともとは、タイの旧暦の正月を祝って、仏教僧が寺院で清めの水をかけることに倣ったものだったそうですが、現在では、みんなが水鉄砲やバケツなどを手に、激しく水を掛け合う「水掛け祭り」となっています。

特にチェンマイの旧正月祭は規模が大きく、国内外から観光客が集まり、賑わいます。

音楽を大音量でかけて、踊りながら水を掛け合う人、ピックアップトラックの荷台にドラム缶を積んで、道ゆく人や、すれ違う車と水を掛け合う人…
街のいたる所に人々が立ち、「新年おめでとう!」といいながら水を容赦なくかけてくれるので、外出の際は携帯電話やカメラなどは、きちんと防水しておかなければなりません。ちょっと近くのコンビニに出るだけでもびしょ濡れになる覚悟が必要ですが、笑顔でいっぱいになるこのお祭りが、私は好きです。

楽しいお祭り騒ぎは、明日まで続きます。


               〔写真〕道端で水を掛けあう人たち

2010年4月13日火曜日

続報・ホアファイ村での川の調査

バンコクの政府と反政府組織の衝突が大きく報じられていると思います。
たくさんの死傷者が出て、私たちもたいへん憂慮しています。
チェンマイでも動きがないわけではありませんが、庶民の生活は概ね平常です。

こないだの土曜から日曜にかけて、タイ正月を前に、沿道では早くも子どもたちが水を掛け合う様子を見ながら、ホアファイ村に行ってきました。
ここでは以前からLinkが中学校と共同で、環境教育プログラムの作成に取り組んでいます。

昨年の12月からは東京の駒澤大学の協力も得て、「水環境からみるホアファイ村」をテーマに、この村のあるファーン川源流部の調査を始めています。
12月には駒澤大学の学生・教員の参加も得て、中学校の生徒・教師、村人など総勢30人近くで調査をしました。
(この様子は、このブログの12月31日に書いてあります。ご覧ください)

次に駒大生たちが来るのは、年末の12月。
しかし北タイは季節によって気温や雨量も非常に異なるため、川の年間を通じた様子を把握するために、今回は乾季の調査をすることになったのです。
ただしタイの学校はいまが夏休みなので、調査はLinkのスタッフ2名と村人7人で行いました。

いつものように約束の時間を大幅に過ぎてメンバーが集まり、愉快で笑いの絶えない時間のはじまり!
何をやってもそんな人たち。幸せの時間、スタート!

調査地点は4ヶ所。
各ポイントに着くと川幅・水深・流速を測って水量を計算します。
同時に気温・水温を計測し、パックテストという器具を使って水質を調べ、最後に河原の様子や川の中の生き物などを記録します。


           〔写真1〕川の幅や深さ、流れの速さを測る
        *写真をクリックすると、画像を大きくして見ることができます




          〔写真2〕パックテストを使って水質を測る


小さな川ですが、筆舌に尽くしがたい様態をしたもの多数を含め、実にいろいろな住人たちがいるものです。
その一つ一つを村人たちが大切に思い、語る姿は、かなり感動的です。



            〔写真3〕魚。手づかみで採れるほどいる




〔写真4〕かなり具体的というか大人というか、でも尻尾があるからオタマジャクシ? まぶたがオレンジ!


調査を始めた9時に30度だった気温は、最後、4つ目のポイントでの作業を終えた午後1時には38度になっていました。
太陽は容赦なく照りつけ、全身が熱気で押されるような暑さです。

しかし標高700m。豊かな自然に囲まれた村のこと。
村を囲む山々が鳥の声で鳴動するような夕暮れを迎え、やがて夜の帳(とばり)とともに鳴き声の主がコオロギたちに代わるころには山から涼しい風が流れ込み、満天の星空の下、扇風機すらいらない快適な夜が、みんなの疲れを癒していくのです。

こんな暮らしを次の世代にも伝えたいと願いながら、私たちは活動をしています・・・・

2010年4月5日月曜日

“サンパカー村”

3月30日にサンパカー村に行ってきました。
ここも村長をはじめとする村のリーダーたちが熱心に森林保全活動を行ってきた村で、昨年来、地図の作成や情報のまとめを支援してきました。
チェンマイから170kmほどでしょうか。
ビルマ国境がすぐそこに見える、水田と畑作、果樹園のある農村です。

“村の百科事典”の引き渡し式は、小学校と中学校が併設された、村にある公立校で行われました。
これにはLinkの一つの思惑があります。
学校を巻き込むことによって、村の歴史などの情報がより活用される機会を増やす。
(“百科事典”は学校にも3冊を進呈しました)
また、個人レベルではまだまだですが、学校ならたいていのところにコンピューターが設置されるようになってきています。
先生たちを対象に、コンピューターを使えば無料の衛星画像などが得られ、コミュニティー林だけでなく、村のいろいろな情報を得ることができるということを見せ、授業での環境教育への応用を促すことができる。


        〔写真1〕パソコンの使える先生に衛星画像の使い方などを伝授



いつものように約束の時間を大幅に過ぎて、村人たちも集まってきました。
絶対に時間どおりに来たりしない割には、こちらの説明に非常に熱心に聞き入り、その後には質問も飛び交いました。
冊子の説明が終わると、今度は村長が立って、丁寧な礼を言ってくれました。
最初は「この人たちは何なの?」ってな感じだった校長先生も、「ぜひまた寄ってくださいね」と言ってくれ、無事、冊子を引き渡し終えることができました。
人手があればもっといろんなことができるし、学校や村人のニーズもあるのにと思いながら、とにかく今できることをと自分に言い聞かせて、村を後にしました。


               〔写真2〕熱心な村人から質問がでる!



〔写真3〕“百科事典”を渡して無事終了。右から2人目が校長、3人目が村長

2010年3月30日火曜日

北タイで環境に携わる人たち②

去る3月23日のこと。
チェンダオの有名な環境NGO“ピン川上流域管理プロジェクト”を訪れた時の話です。

代表のニコム プッターさんは、タイでも屈指の環境活動家です。
チェンマイの県庁所在地から北へ70kmほど行ったチェンダオという町の出身で、今もここを拠点に活動を続けています。
コミュニティー林活動をする村人の支援や、環境に関する政策提言なども積極的に行ってきました。
数年前にはチェンマイに建設されようとしていたナイトサファリに反対し、出演していたテレビ番組の収録後にスタジオの中で暴漢に襲われたりもしました。
ニコムさんの指摘は多くが当たり、シンガポールのナイトサファリに匹敵するという触れ込みで開園したナイトサファリは、その後、多くの動物が死んでしまい、今では訪れる人もあるのか、ないのか・・・

ニコムさんは最近、集会場や宿泊施設もある研修センターを完成させ、子どもたちの自然教室のような行事も行っています。
現場に現れる彼はいつも、ライオンのように髪をオールバックにして黒縁めがねをかけ、さらに百戦錬磨の経歴が彼をちょっと怖く見せたりすることもあります。
しかし実際に会ってみると、子どもと自然が大好きで、草花茶をよく飲む、ほんとうは穏やかなおじさんなんだな、という印象を受けます。
環境教育などについて侃々諤々(かんかんがくがく)のやり取りが続く中で、ふと、「鳥の声がいいでしょう・・・・」などと、それまでの話とぜんぜん違うことを突然言って、みなを和ませたりします。
実際、研修センターの中は小川が流れ、周りを山々が囲み、鳥たちのさえずりが絶えることなくシャワーのように降り注ぐ感じの場所なのです。
「私はもう大人には関心がない」という彼は、くらしの厳しい少数民族の子どもたちなどを対象にしたワークショップをして、地域を担う次世代の人材育成に取り組みたいと、構想を聞かせてくれました。
その実現のために、また飽くことなき“大人”たちとの駆け引きが待っているであろうことも厭わずに。

訪問の目的であった、最近の北タイのコミュニティー林保全活動の全体的な流れ、状況などについて教えてもらうと同時に、私たちの最近の活動の成果である“村の百科事典”を数冊持参して見てもらいました。
「うむうむ、こういう活動もいいね」
なんとか合格点をもらうと同時に、来年度以降の活動地などについてもアドバイスをもらいました。

「チェンダオに来ることがあったら、いつでも家に来て泊るといい」。
北タイの環境保全活動の大先達であるチャンチャイ先生とニコムさんにそう言われ、お昼までごちそうになって、チェンダオ訪問は終わりました。



〔写真1〕タイを代表する環境活動家の一人、ニコム プッター氏



〔写真2〕“ピン川上流域管理プロジェクト”の集会場にて

2010年3月25日木曜日

北タイで環境に携わる人たち①

22日の月曜日、チェンマイ市内の事務所から160kmほど北にある、マイポーガム村に行きました。
73世帯の小さな村ですが、村長たちが森を守る活動をしており、Linkが村人と協力して作ってきた地図や村の歴史情報を冊子にまとめ終えたため、それを渡しに行ったのです。

引き渡しは、今後3年間の村おこしの計画を議論する村の集会の冒頭で行われました。
スィンワン村長は、余計なことは言わないとても誠実な感じの人で、まず、集まった村人に対して私たちのことを丁寧に紹介してくれました。
スタッフのサムニアンが冊子の内容などについて簡単な説明をし終わると、村人たちから拍手が沸き起こりました。
さらに重ねて村長から丁重な礼を言われ、私たちは集会場を後にしました。
その晩は車で1時間ほど走り、古巣のホアファイ村ホイポン集落で泊まりました。



〔写真1〕マイポーガム村で“村の百科事典”について説明する





〔写真2〕スィンワン村長に“百科事典”の引き渡し


翌23日の朝8時過ぎには村を出、チェンマイ方面に1時間ほど走り、チェンダオという町のとある高校に行きました。
ここには、以前から私たちがいろいろな相談に乗ってもらっているチャンチャイ先生がいます。
環境教育に非常に熱心で、どこかとぼけた感じだけど暖かく、穏やかな話の中に鋭い指摘がたくさん含まれている、そんな人です。
こちらでは“先生”というとけっこう権威で、生徒たちにも威圧的な人が少なくありません。
しかし、チャンチャイ先生は、例えば訪問者が環境について尋ねている最中に自然保護サークルの生徒が通りかかると、全て生徒に話を任せてしまいます。
曰く、「私のやっていることは生徒が体現していることが全てです」。
自然保護サークルの生徒はみな、この小さな町が大好きで、とても誇りに思っています。
私も一度、その1年ほど前に会ったことのある女子生徒に、「木村さんはまだチェンマイに住んでいるのですか? で、いつチェンダオに移ってくるのですか?」と“まじめな笑顔”で聞かれたことがあります。
生徒なんかに任せておけないと、生徒には話をさせなかったり、生徒が話していてもすぐに割って入る先生が多いのに、この先生はいつも泰然としたものです。

タイでは環境保全活動はいつも困難が伴います。
つらい経験も山のようにあったと思うのですが、いつも生徒のことを考え、予算確保に走り回り、自らも研修に出ては勉強を続けているチャンチャイ先生。
バンコクに生まれたのですが、学生時代に旅をしていてチェンダオに惚れ込んだそうです。
のちに教師になり、こちらに転勤して来て25年。
あと3年で退官してしまうのが、いまからとても惜しまれます。
しかし今は、後進の教員の養成にも取り組んでおられ、また退官後も学校の近くに住むということで、ちょっと安心です。

久しぶりに訪問した私たちの活動の進捗状況を喜んでくれました。



〔写真3〕Linkの依頼でホアファイ中学校の生徒たちに講演してくれた際のチャンチャイ先生(2008年2月)



この後、もう一人、タイを代表する環境保護の活動家にチャンチャイ先生も一緒に会いに行ったのですが、その話はまた次回にでも。

(き)

2010年3月21日日曜日

近況 Link !

前回の掲載からずいぶん間が空いてしまいました。
日本からは少しずつ春の便りが聞こえてきますが、年度末、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?

前回のブログアップは2月24日。
きょうはそれ以降の約1ヶ月を、駆け足で振り返ります。

まず、2月25日にLinkの本部事務所が、埼玉県の川越から、東京の豊島区に引っ越しました。
◆新しい事務所の住所<東京本部事務所>
〒170-0004
東京都豊島区北大塚3丁目29番3―205号

3月5日に日本で人身売買に反対する活動を続けるNPO“てのひら”の代表が事務所を訪れてくれ、情報交換をしました。
Linkも厳しい状況にある子どもたちにかかわることがありますが、専門家の情報に驚き、また多くを学びました。
知ってますか? “いま、世界で、6秒に1人が、人身売買されているという現実”
http://www.geocities.jp/tenohira_trafficking/
(Linkのホームページリンク集からも入れます)

3月6日~13日は、お茶の水女子大学の“国際協力実習Ⅱ”という授業の受け入れをしました。
村に3泊しながら北タイ山村のくらしや文化に学び、その後ビルマ国境、メコン川、チェンセンやチェンマイの遺跡をめぐり、下町の市場見学なども行いました。
こちらでストリートチルドレン支援を行っている団体のスタッフの協力を得て、夜の街を実地に歩いてみたりもしました。


〔写真1〕お茶の水女子大学の実習にて


14日は関東学院大学のスタディーツアー一行に対して講演をし、北タイ山村住民のくらしがどう森とかかわり、どのような問題を抱えているのか、そのメカニズムについて話をさせてもらいました。
一緒にお昼ご飯も食べに行きました。
イスラム料理。
チェンマイにはイスラムコミュニティーがいくつかあり、おいしい食堂もあるのです!


〔写真2〕関東学院大学のみなさんと


17日には前回のブログで書いたデンムアン村に再び行ってきました。
前回のは予備調査で、今回はお寺の集会場を使っての本格的なワークショップ。
30人以上の村人の参加を得て、村の歴史や、村で見られる、またはかつては見られた生き物の情報を集めました。
1月28日のブログに書いたものと同じ、“村の百科事典”作成のためです。
開発の波が及ぶに従って、魚や貝、鳥など、実に多くの生き物が消えていったことが明らかになりました。
同時にいくつかの外来種が入って、食害が広がったりしています。


〔写真3〕デンムアン村のドーイ寺にて

18日は会報を発送しました。会員のみなさんの手元には1週間程度で届くと思います。
お楽しみに!
1部だけですが、今回からアフリカにも発送されるようになり、これでアジア、アフリカ、北米大陸に会報が届くことになった次第・・・・ちょっと大げさ?
まだ入会していないみなさん、是非、会員になって、Linkを支え、会報をご購読ください!
ご連絡、お待ちしております。

19日には富田が一時帰国。
これまでに年度末の仕事をやっつける必要から、メチャクチャに忙しい毎日が続きました。
富田はしばらく日本で休暇と研修をしてきます。

この文章を書いている今は3月20日、タイ時間午後5時。きのう、おとといと、午後に空が真っ暗になって雷が鳴り響き、実に久々の雨をもたらしたせいで、連日の酷暑はちょっと一息です。
この季節に名物の、山火事によるひどい空気の汚れも多少は改善され、湿度も手伝って、呼吸がしやすい感じで助かります。

2010年度の予定を立てています。来年度に団体でスタディーツアーを予定されている場合は、お早めにご相談ください。

では、きょうはここまで。
〔3月20日記〕(き)

2010年2月24日水曜日

20年目の再会

日本は各地とも、やっと少し暖かくなってきたようですね。

チェンマイですが、早朝はまだけっこう涼しいですが、日中はかなり“酷暑”という状況に近くなってきました。
なんせ、雨がぜんぜん降りません。
山では、あちらこちらで火事が起こっています。
来る日も、来る日も、晴ればかり。
空はホコリと煙で霞んできました。
それでも日差しはきつく、屋外に出ると肌がチリチリします。
長袖は必需品!

さて、きのうはデンムアン村に行ってきました。
Linkの活動地はチェンマイ市内から北へ150km前後のファーン川流域に広がっているのですが、この村は唯一チェンマイから南々西の方向にあります。
市内から約35km、車で1時間ちょっとです。
実は昔、私が大学院生だったころに調査でお世話になった村の隣村でもあります。

村長の自宅に数人の村人に集まってもらい、聞き取りをしました。
集めたのは村の歴史の概要や、村の周辺にどんな生き物がいて、またどんな生き物がいなくなってしまったかという情報(1月28日の“きむろぐ”参照)。

とっても美味しい揚げバナナをご馳走になりながら、和気あいあいと聞き取りは進んだのですが、驚いたのは、30代の村長の父親にあたる老人が私を覚えていたこと。
「どこで会ったかな」というので、「20年前に隣村のミー村長の家に数ヶ月いたことがあります」というと、事もなげに「そうだったか」と一言。
印象的だったのは、他の人のように「日本人かどうか」などの細かいことは一切気にもせず、すぐにまたやりかけの家周りの作業に戻っていったことでした。

私のいた村からみるとデンムアン村は街と反対の方向にあり、しかも3km近くも離れていたので、滅多に訪れることはありませんでした。
そんな村で、20年も前に会った私を覚えている人がいる。
どこか嬉しく、なんとも言えない不思議な気持ちにさせられたのでした。


村人数人と縁台を囲んで聞き取りをした時の一コマ。真ん中の人が村長。右にできたての揚げバナナ。


村長の家の前で撮った1枚。20年前と違うのは、道路が舗装されたこと。

2010年2月7日日曜日

パカニョーの結婚式

きのう、Linkのいちばん古くからの活動地であるホイポン村の結婚式に出てきました。

金曜日にメーアイ郡のサンパカーという村で話し合いを終えて、ホイポンには夕方6時ころに着きました。
新婦はホイポンの人ですが、新郎はバンターという町に住んでいる同じパカニョーという民族の人だそうです。

新婦の家の前では早くも豚をつぶして酒盛りが始まっていました。
満天の星空の下、ビールと手作りの焼酎をこれでもかというほどご馳走になりました。

翌、土曜日。
朝、教区の神父を迎え、教会の鐘が鳴らされて、式は9時半ころにはじまりました。
神父さんは私の記憶違いでなければ確かイタリア人ですが、式はすべてパカニョー語で行われます。
ホイポンはカトリックの村で、新郎も同じくカトリックだそうです。

まず新婦の家から、子どもに続いて新郎新婦、参列者の行列が教会に向かいました。


教会に入ると正面のイエスの絵に向かって右側に新郎とその友人代表、左側に新婦とその友人代表が立ち、後ろには参列者たちも同じように右半分に男性、左半分に女性が並びました。



新郎新婦は民族衣装。
パカニョーの場合、伝統的には未婚の女性の衣装はワンピースです。
しかし結婚式からは、既婚女性用の上下で別れた、織や刺繍の凝った衣装に独特の頭巾(ずきん)をつけるようになります。
ただし結婚式では純白のベールをかぶります。
新郎は白いワイシャツの上に民族衣装を着ています。

式の最中、騒ぐ子どもがいました。
父親がこの小さい娘を抱きとめると、娘の強烈な平手打ちが父親の右頬を見事にとらえました。
一瞬、みなの意識がこの親子に集中し、また式のほうに戻って行きました。

咳き込む年寄りがいました。
痰が切れると窓際まで行って、この式場のある2階の窓からペッ。
周りの人が気遣って腕を支え、もとの位置に戻るのを手伝いました。

「汝はこの者を終生・・・」という神父の問いに新婦がモジモジすると、厳かに式を進めてきた、一見ちょっと怖そうな神父が、「ん? どうなんだ?」と、ドングリのような大きな目をさらに見開いて問い直しました。
会場がどっと笑いに包まれ、「しっかりしろ」ってな感じのヤジが飛びました。




民族衣装を着た新婦の友人が一生懸命デジカメで写真を撮り、指輪の交換があり、聖体拝領があり、この間、何曲もの讃美歌が歌われ、式は小一時間で無事終わりました。
厳かであり、でも同時に何かとても微笑ましい、等身大のというか、とっても親しみの持てる式でした。

式の後、新郎新婦が神父や親戚一同とひとしきり記念写真を撮り終えると、舞台は教会のすぐ横にある新婦の実家に移され、食事がもてなされました。
何種類もの豚の手料理に、酒もふんだんに出され、挨拶して回る新郎新婦にご祝儀が渡されていきました。

村の結婚式といっても、今はいろいろです。
今回はとても親しくしている家の娘さんの結婚式で、私はちょっと緊張していたのですが、とてもいい結婚式でした。
この式のために町から戻ってきた人たちもたくさんいました。
前の晩から和やかで楽しげな雰囲気が村を覆い、とても自然な感じの式となりました。
村中が、ごく普通に、新しいくらしの第一歩を踏み出そうとするふたりを祝福し、ともに感動し、いい酒に酔っているようでした。

私たちも、温かい気持ちをたくさんもらって帰途についたのでした。

2010年1月28日木曜日

“村の百科事典”をつくる

月曜日から火曜日にかけて、4つの村に行ってきました。
そのうちの一つ、チェンマイ県最北のメーアイ郡にある、ビルマ国境の山稜を望むサンパカー村での活動の様子を紹介しましょう。
この村はチェンマイ市から北へ約170km、車でおよそ3時間。

GPS(全地球測位システム)を使って村人と一緒に歩いて作ったコミュニティー林の地図は既にできており、まずはその読み方を村人に説明しました。

この日のメインは村人やお坊さん、小学校の校長先生などに集まってもらい、村の歴史や村で見られる生き物の情報を集めること。
歴代村長の名前、森林破壊や野生動物が消えていった様子、電気や電話、自転車やオートバイ、トラクターが入ってきた年、農作物の変遷、学校、寺院の設立年などを思い出してもらい、A4の紙に大きく書いて、みなが見えるように床に並べていきます。
字が読めない人がいる場合もあるので、描けるものにはなるべく絵も入れていきます。

“詳細かつ厳密な”とまではいきませんが、おおよその村の歴史を浮き上がらせることはできます。
どこでも町史や村史が残る日本と違い、北タイの村ではこういった記録がほとんど残っていません。
村おこしの計画を立てようとしても、子どもたちに村の出来事を伝えるにも、こういった記録がないために、村人同士で情報を共有することが困難となっています。

“生き物の情報”とは、野生の動物や鳥、魚などのうち、かつては村にいたけど今はもう見ることが出来なくなってしまったもの、今も見ることが出来るものに分けて記録していきます。

私たちが主に活動するファーン川流域では、おおよそですが、30年ほど前を境にどこでも野生動物が激減する傾向を見て取ることができます。
このわずか数十年の間に消えてしまった野生の動物の種類は、どこの村でも二桁にのぼります。
ズラリと並ぶ、今はもう見ることができなくなってしまった生き物のリストに、森を守ろうと取り組む村人たちも、考えるところが少なくないように思えます。

生き物だけではありません。
みんなで出し合った出来事を並べてみると、ここ数十年間の村のくらしの激変は一目瞭然。

紙に書いた情報は、村人が1週間ほどかけてまとめます。
ワープロ打ちする場合もあれば、村長直々に手書きする村もあります。

コミュニティー林を含む村の地図、歴史、生き物の一覧は、小学生たちが描いた村の絵を添えて冊子にまとめられ、村の役員や学校、寺や教会に配られます。

これをLinkでは“村の百科事典”と呼んでいます。


    ① おおよそのテーマごとに情報を聞き取り、年号順に床に並べていく(サンパカー村)




  ②「この村で最初のバイクは、タイ仏歴2512年(西暦1969年)にポンパンさんが買った“HONDA50”」という意味(サンパカー村)




          ③コミュニティー林の地図と“村の百科事典”

2010年1月16日土曜日

日 食

とある月刊紙に頼まれた原稿の締め切り日というのに、きょうは“日 食!”。
午後2時過ぎあたりから、チェンマイ中の人が空を見上げてました。

見なくても困らないし、腹が膨れるわけでもない。
でも見たいかと聞かれれば、ちょっと見たい。

しばらく前に、日本でも皆既日食がありましたよね。
あの時、ニュースで「木漏れ日を見ればいい」とか言ってるのを聞いて、“ふ~ん、おもしろいもんだ”とか妙に納得していたのですが、実際に見て、あっけなく感動してしまった。

「別に見なくても困らない」が、「いやぁ、見てよかった」にあっけなく変更。
見たからといって財布の中身が増えた訳でもないけど、でも、よかった。
得(とく)した気分です。

なんかやっぱ、自然って、おっもしろいですね。

日は傾き、三日月形の木漏れ日が玄関先のコンクリの上を少しずつ動いて行くのを、一心不乱に見呆けていました。

それだけ。
おしまい。
〔1月15日記〕(き)

2010年1月14日木曜日

共に生きる

日本は強い寒気団に覆われ、各地で大雪に見舞われているようですが、みなさんの住んでいる場所は大丈夫でしょうか?

ハイチの地震のニュースが流れています。
インフラも打撃を受け、被害の規模すらよく分からない状態だと聞きます。
地震大国に住む私たちにとって、決して他人事ではないと思います。

長い人の歴史の中で、ほんの一瞬しかない私たちの人生。
たまたま居合わせた私たちに、出来ることはないでしょか?

「共生の時代」といいます。
であれば、政府に任せるだけでなく、私たち一人一人が小さくてもできること、探してみるのも悪くはないのではないか。

現場に行かなくても方法はあるのでは?
募金してもちゃんと届くのかな?
・・・それこそ国際協力について考えるいいきっかけ。
私たち自身のためにもなるのではないでしょうか?

要は、するのか、しないのか。
きょうはそんな思いで自分に出来ることを考えてみようと思っています。


<写真>チェンマイの花と蝶

2010年1月11日月曜日

あけましておめでとうございます

◆謹賀新年
あけまして、おめでとうございます。
2010年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
〔2010年元旦 記〕

正月休みで遅れましたが、この間に書いた文章をいっきにアップします。


◆ラフの正月
3日、木村が大学生の頃に滞在したことのある村に呼ばれて行ってきました。

チェンライ県のこの村は、ラフ・ナとラフ・ニという、2つの少数民族の集落からなっています。
この村にはラフ・シの人も多く、他にもタイ系の民族もいればアカや漢族などさまざまな民族の人がいますが、こんなことは北タイの山ではしばしばあること。

村には夕方、着きました。
泊まったのはラフ・ナの村ですが、夕食後、早速ラフ・ニの集落に遊びに行きました。
ここのラフ・ニは精霊を信仰しており、踊るのは夜です。  

村の真ん中にある広場に、おおよそ1メートル間隔四方に4本の竹が立てられます。
竹の先端は緩く弧を描き、高さは二階家の屋根ほどもあるでしょうか。
色紙や風船が飾り付けられ、地上1.5mほどのところには祭壇が設けられていて、供犠された豚の頭や餅などが供えられます。
明るい月の下、この祭壇の周りでは一晩中踊りが続けられるのです。
朝まで踊らなければ、精霊の怒りをかい、供え物は持ち去られると信じられています。



     写真:ラフ・ニの正月祭りの祭壇。供えた豚の頭、銅鑼(ドラ)や餅が見える。


清冽な空気の中、竹が空高くのび、色紙が風にそよぎます。
この周りで人々は瓢箪笙(ひょうたんしょう)を吹くリーダーを先頭に、複雑な足のステップを踏み鳴らして踊り続けるのです。
銅鑼(どら)や、太鼓、シンバルだけで踊ることもあれば、両者が一緒に鳴らされることもあります。
多くの人たちがこの日のために準備しておいた、パッチワークと銀細工の美しい下ろし立ての民族衣装を身に着けて、踊りの輪に加わります。



                写真:祭壇の周りで夜通し踊る


夜10時過ぎ、踊りの輪が一旦止まり、広場には瞬く間にゴザが敷かれ、客人をもてなす食事が供されます。
村人の一致団結した身のこなしが美しい。
村人たちもあちらこちらに車座になって、共に食事をしながら祝います。
正月は村人同士の団結を確認し、新たな年の豊穣を祈念する祭りでもあるのです。

食事が終わればまた踊り、かくして夜は更けていきます。



翌日はラフ・ナの村で過ごしました。
ここはキリスト教徒の村。
ちなみにラフ・ナとラフ・ニは言葉はかなり似ています。
しかし民族衣装はまったく違うし、ラフ・ニの多くが精霊信仰なのに対し、ラフ・ナやラフ・シの大半はキリスト教徒(プロテスタント)です。

さて、広場の真ん中には本来、松が立てられるのですが、見つからなかったのか、今年はサワラのような木とサトウキビが立てられていました。




ラフ・ナの踊りは男踊りと女踊りに分かれます。
瓢箪笙(ひょうたんしょう)を使った男踊りは、ラフ・ニのそれよりさらに、非常に複雑なステップを踏みます。
瓢箪笙が奏でるのは、とにかく西洋音楽の基となるドレミの発想とは全く別次元の「音楽」。何台もが同時に奏でる笙は一台一台違った音を出し、ステップはどこから始まっていつ元に戻るのか、ちょっとやそっとではわかりません。
名人たちのステップにはしばしば規則はなく、しかしある時点で一斉に地面を強くパーンと踏みならして突如終わったりする、それはもう、一緒に踊れば全身に鳥肌が立つような、神がかり的なものです。


               写真:ラフ・ナの女性たち



            写真:ラフ・ナの男踊り―瓢箪笙を吹き鳴らす―




学生時代、東京に生まれ育った私は、これが土地に根ざした文化というものかと、呆然となったものです。
そして今もその感動は変わりません。

古い友人たちとの話は尽きませんでしたが、いつの間にか村の子どもと仲良くなってどこかに行ってしまっていた小1の娘を探しだし、みな互いに別れを惜しみながら、夕方にはチェンマイに向かって200kmの道を戻ったのでした。

トランクには土産にもらったたくさんの餅と新米を積んで・・・。
〔1月4日 記〕


◆ラフの餅
前回、ラフの正月に行って餅をもらった話を書きました。
これについてもう少し書きます。

チェンマイには日本人が3,000人近く住んでいます。
幾つかのスーパーでは、餅も醤油も味噌も、いつでも手に入れることができるんです。
もちろんこれは日本人向けに売っているもので、多くが日本から輸入しているものです。

面白いことに、北タイの主要構成民族であるタイ系のコンムアンの主食は餅米なのですが、これを蒸してからついてモチにする習慣はありません。
一方、少数民族はみなウルチ米を主食にしています。
日本人と同じで、しかも10年チョイ前にあったコメ輸入時にたくさん入ってきたいわゆる“タイ米”とは違って、より日本のコメに近い、短粒種です。
ところがこれら少数民族の中には、正月に餅をついて食べる習慣のある民族がいくつかあるのです。

たとえばパカニョーは餅を“メトピ”、ラフは“オプ”と呼びます。

ラフの村。
正月にはどの家でも繰り返し餅をつきます。
日本と違うのは、つく時にゴマを使うこと。
水は使わず、杵にも臼にもゴマをたっぷりまぶします。
使う餅米は白いものが多いですが、濃い紫色したコメの場合もあります。

餅をつく際には、悪い精霊が取り憑かないように、必ず爆竹が近くで鳴らされます。

当然、つき立てがもっともうまいですが、すぐに直径7~8cmの円盤状にします。
互いにくっつかない様に、殺菌効果もあるらしい松の葉を敷いて重ねていき、保存します。
といっても日中は暑くなるので、2~3日もすればカビが来ます。
だから餅が固まるのを待って、客が来る度に次々に包丁でスライスしては揚げ餅にして出すのです。

正月祭りの間中、客人には酒と揚げ餅、お茶、さまざまな豚料理で、もてなしが行われるのです。 

そして帰る客には餅、新米、豚肉などが持たされる、これがラフの正月です。






〔1月9日 記〕