2010年4月20日火曜日

がんばれ、チベット!

大地震の起こったユイシュー(玉樹)は、かつて学生時代に行ってみたいと思ったことのある町の一つだ。
結局この町を訪れることはなかったが、他のいくつもの町を訪れ、たくさんの人に、とてもお世話になった。

いまでも忘れることのできない出会いがたくさんある。
美しい自然と、独自の文化、優しい人々。

掛け替えのないたくさんの思い出をもらったチベットに、何一つできない自分がもどかしい。
せめて、ひとつでも多くの命が救われ、一日も早い復興がかないますように。

2010年4月19日月曜日

唯一の・・・・

今月12日から、アメリカのワシントンで“核保安サミット”が開かれていた。
日本発のニュースを見ていてしばしば強調されるのが、「唯一の被爆国として」というフレーズだ。
いずれの立場であろうと、武器としての核の使用に反対することは大切。
でも、何か引っかかる。

人類史上初めて原爆実験が行われたのは、アメリカのネバダ州。たくさんの人が被曝した。
ビキニ環礁で第五福竜丸が水爆実験に遭遇した時には、一帯で2万人からの被曝者がでたという。
中国もロシアもフランスも、核兵器の保有国で核実験をしなかった国はない。
そのたびに、実験場がその国の中であろうが、よその国でやったものであろうが、はたまた信託統治領なんぞであろうが“死の灰”が降り、必ず多くの人が被曝し、そして今も苦しんでいる。

被「爆」と被「曝」の違いが重要だ、ということなのだろうか。
なんか、どこかピントがズレているような気がするのは、私だけだろうか。
“ヒバク”したかどうかでなく、もっと普遍的な視点から積極的な取り組みを進めていく力が日本にはあるのではないかと思うのだが。

2010年4月17日土曜日

ゴールデンシャワーの“夏”

季節の花ゴールデンシャワーが、名前の通りの鮮やかな黄色の花房を風に揺らしながら咲き乱れ、街のあちらこちらを黄色く染めています。
雨は一向に降らず、太陽は頭の上に近づき、暑い毎日が続き、日中の気温は40度近くにも。



〔写真1〕ゴールデンシャワーは街中に植えられている。水かけ祭りの際に撮った写真。後ろの黄色いのがそうで、北タイ語では“乾風花”。
*写真をクリックすると、画像を大きくして見ることができます



でも、私はあまり辛くありません。
理由の一つは湿度が比較的低いから。
日向はきついですが、日陰に入れば扇風機だけでだいじょうぶ。
東京で育ち、かつて大阪の夏を4回、内2回はエアコンなしで過ごした経験のある私には、こっちの方がぜんぜん楽!

もうひとつは恐らくですが、最近運動しているから。
ずいぶんめちゃくちゃな生活が祟って医者からさんざん言われ、止むを得ず少しずつ体を動かし、病みつきになり、けっこう体重も減って、いつになく楽勝な“夏”を過ごしています。

思えばここ数年、柄にもなく“夏”になると食欲が減退し、体重まで多少減るようになっていました(もちろん雨季が来ると、元の値を超えるリバンウンドが待っている状況の繰り返しだったのですが)。
しんどくて仕方がなかった夏。
ところが気づけば今年はなぜか、暑いだけ。

12月、さんざん言う(言ってくださる)医者に「だったら運動してやろうじゃぁないですか~」とは言わないですが、それなりに運動すると宣言して4ヶ月。
年末の検査では、血圧、中性脂肪、善玉・悪玉コルステロール、何一つとっても不合格だったのを、先週は全部合格にすることができました。
先生も、スタッフと一緒にニッコニコしながら「うらやましい」だの「素晴らしい」だの言ってくれました。

来年の“夏”も、いまの私でいられるといいのですが・・・・



〔写真2〕大仏塔寺の仏塔を背景に(チェンマイ) 



  

2010年4月15日木曜日

サワッディー・ピーマイ!!

サワッディー・ピーマイは、「新年おめでとう」という意味のタイ語です。
きのう13日から15日までが、タイでは旧正月の期間にあたり、国中がお祭りムードに沸きます。

もともとは、タイの旧暦の正月を祝って、仏教僧が寺院で清めの水をかけることに倣ったものだったそうですが、現在では、みんなが水鉄砲やバケツなどを手に、激しく水を掛け合う「水掛け祭り」となっています。

特にチェンマイの旧正月祭は規模が大きく、国内外から観光客が集まり、賑わいます。

音楽を大音量でかけて、踊りながら水を掛け合う人、ピックアップトラックの荷台にドラム缶を積んで、道ゆく人や、すれ違う車と水を掛け合う人…
街のいたる所に人々が立ち、「新年おめでとう!」といいながら水を容赦なくかけてくれるので、外出の際は携帯電話やカメラなどは、きちんと防水しておかなければなりません。ちょっと近くのコンビニに出るだけでもびしょ濡れになる覚悟が必要ですが、笑顔でいっぱいになるこのお祭りが、私は好きです。

楽しいお祭り騒ぎは、明日まで続きます。


               〔写真〕道端で水を掛けあう人たち

2010年4月13日火曜日

続報・ホアファイ村での川の調査

バンコクの政府と反政府組織の衝突が大きく報じられていると思います。
たくさんの死傷者が出て、私たちもたいへん憂慮しています。
チェンマイでも動きがないわけではありませんが、庶民の生活は概ね平常です。

こないだの土曜から日曜にかけて、タイ正月を前に、沿道では早くも子どもたちが水を掛け合う様子を見ながら、ホアファイ村に行ってきました。
ここでは以前からLinkが中学校と共同で、環境教育プログラムの作成に取り組んでいます。

昨年の12月からは東京の駒澤大学の協力も得て、「水環境からみるホアファイ村」をテーマに、この村のあるファーン川源流部の調査を始めています。
12月には駒澤大学の学生・教員の参加も得て、中学校の生徒・教師、村人など総勢30人近くで調査をしました。
(この様子は、このブログの12月31日に書いてあります。ご覧ください)

次に駒大生たちが来るのは、年末の12月。
しかし北タイは季節によって気温や雨量も非常に異なるため、川の年間を通じた様子を把握するために、今回は乾季の調査をすることになったのです。
ただしタイの学校はいまが夏休みなので、調査はLinkのスタッフ2名と村人7人で行いました。

いつものように約束の時間を大幅に過ぎてメンバーが集まり、愉快で笑いの絶えない時間のはじまり!
何をやってもそんな人たち。幸せの時間、スタート!

調査地点は4ヶ所。
各ポイントに着くと川幅・水深・流速を測って水量を計算します。
同時に気温・水温を計測し、パックテストという器具を使って水質を調べ、最後に河原の様子や川の中の生き物などを記録します。


           〔写真1〕川の幅や深さ、流れの速さを測る
        *写真をクリックすると、画像を大きくして見ることができます




          〔写真2〕パックテストを使って水質を測る


小さな川ですが、筆舌に尽くしがたい様態をしたもの多数を含め、実にいろいろな住人たちがいるものです。
その一つ一つを村人たちが大切に思い、語る姿は、かなり感動的です。



            〔写真3〕魚。手づかみで採れるほどいる




〔写真4〕かなり具体的というか大人というか、でも尻尾があるからオタマジャクシ? まぶたがオレンジ!


調査を始めた9時に30度だった気温は、最後、4つ目のポイントでの作業を終えた午後1時には38度になっていました。
太陽は容赦なく照りつけ、全身が熱気で押されるような暑さです。

しかし標高700m。豊かな自然に囲まれた村のこと。
村を囲む山々が鳥の声で鳴動するような夕暮れを迎え、やがて夜の帳(とばり)とともに鳴き声の主がコオロギたちに代わるころには山から涼しい風が流れ込み、満天の星空の下、扇風機すらいらない快適な夜が、みんなの疲れを癒していくのです。

こんな暮らしを次の世代にも伝えたいと願いながら、私たちは活動をしています・・・・

2010年4月5日月曜日

“サンパカー村”

3月30日にサンパカー村に行ってきました。
ここも村長をはじめとする村のリーダーたちが熱心に森林保全活動を行ってきた村で、昨年来、地図の作成や情報のまとめを支援してきました。
チェンマイから170kmほどでしょうか。
ビルマ国境がすぐそこに見える、水田と畑作、果樹園のある農村です。

“村の百科事典”の引き渡し式は、小学校と中学校が併設された、村にある公立校で行われました。
これにはLinkの一つの思惑があります。
学校を巻き込むことによって、村の歴史などの情報がより活用される機会を増やす。
(“百科事典”は学校にも3冊を進呈しました)
また、個人レベルではまだまだですが、学校ならたいていのところにコンピューターが設置されるようになってきています。
先生たちを対象に、コンピューターを使えば無料の衛星画像などが得られ、コミュニティー林だけでなく、村のいろいろな情報を得ることができるということを見せ、授業での環境教育への応用を促すことができる。


        〔写真1〕パソコンの使える先生に衛星画像の使い方などを伝授



いつものように約束の時間を大幅に過ぎて、村人たちも集まってきました。
絶対に時間どおりに来たりしない割には、こちらの説明に非常に熱心に聞き入り、その後には質問も飛び交いました。
冊子の説明が終わると、今度は村長が立って、丁寧な礼を言ってくれました。
最初は「この人たちは何なの?」ってな感じだった校長先生も、「ぜひまた寄ってくださいね」と言ってくれ、無事、冊子を引き渡し終えることができました。
人手があればもっといろんなことができるし、学校や村人のニーズもあるのにと思いながら、とにかく今できることをと自分に言い聞かせて、村を後にしました。


               〔写真2〕熱心な村人から質問がでる!



〔写真3〕“百科事典”を渡して無事終了。右から2人目が校長、3人目が村長