2011年12月31日土曜日

パンフェーン村の“完成式”

この“きむろぐ”で1124日に、「巨木の森を訪れて」として紹介したチェンマイ県東部に位置するパンフェーン村。

事務所から車で1時間ほどの場所にあり、今年2月から苦闘が続いていたこの村の活動が1229日、ついに終了しました。

この村は4つの集落からなりますが、全世帯数は220戸、人口703人で、決して大きな村ではありません。

しかし大半を山林が占める面積の広さに、たいへん苦労しました。

度重なるGPSによる測位と、膨大な情報の整理に、多大な時間がかかりました。

“完成式”の当日は、村長・助役や学校長代理、自治市副長などを迎え、中学生の代表も参加して、“村の百科事典”の説明と受け渡しが行われました。


                 〔写真1〕“完成式”の様子


      〔写真2〕“村の百科事典”の使い方の説明に聞き入る村人


                  〔写真3〕“完成式”の後で


タイも日本も「災害」に明け暮れた年が、終わろうとしています。

私たちのくらしや考え方、一人一人の生き方が問われた1年でした。

人と人、国、自然とのあり方が、科学が、責任が、そして未来が問われた年でした。

こんな年にもかかわらず、たくさんの方からLinkへのご協力をいただきました。

ほんとうにありがとうございました。

来る年も引き続き人と人を結び、自然との調和したくらしを探求し、かけがえのない地球を次の世代につないでいくべく活動を継続していこうと思っております。

2012年もみなさまのご理解・ご協力のほど、何とぞよろしくお願い申し上げます。

(き)


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ホアファイ村中学校と駒澤大学の合同水質調査

12月24日から3日間にわたって、Linkの活動地であるホアファイ村の中学校と駒澤大学の合同水質調査プロジェクト“水環境からみるホアファイ村”を行いました。
今回で3回目となる交流調査は、双方にとってすっかり年末の恒例行事となっています。

初日はいつものように挨拶・自己紹介を済ませると、調査手順の説明、実際に川に行っての器具の使い方の練習などを行いました。

2日目は2つの班に分かれ、実際に川に行って調査を行いました。
調査項目は流量、温度、電導率やph、COD、全硬度や硝酸イオン、アンモニウムイオンのほか、今年から透視度も加わりました。

             〔写真1〕河原での水質調査の様子

なんとかお昼までに6地点での調査を終え、午後は親睦を兼ねて、近くの洞窟までみなで遠足に行きました。

3日目はみなで地図を作成し、取ってきたデータを書き込み、大学の先生が今年のデータから言えること等を説明しました。

3回目ともなると、中学校も大学側もいろいろと要領がよくなって、現場での調査もまとめのワークショップも、たいへんスムースにいくようになりました。

            〔写真2〕データをまとめて地図に落とす作業

        〔写真3〕まとめたデータから言えることを高木教授が説明

また、データの蓄積によって、年ごとの比較などもできるようになり、何よりも双方の信頼関係の醸成によって、とっても楽しい3日間とすることができました。
午後は、恒例の駒澤大学が日本食を作ってふるまう企画を実施。

今年の出し物はお団子。小豆やきな粉など何通りもの味付けで子どもたちから先生まで魅了しました。

             〔写真4〕みんなで日本の団子を作り!

そのままいつもの交流会に移り、子どもたちの北タイのダンスや楽器演奏なども披露され、遅くまで歓談が続きました。


Linkでは“環境教育カリキュラム作成支援事業”の一環として位置づけ、継続してきたいと思っています。

【参考】これまでの本事業に関する“きむろぐ”での報告は、以下の通り。
2009年12月31日「ふたつのスタディーツアー」第1回目の交流事業の様子
2010年4月13日「続報・ホアファイ村での川の調査」乾季のデータ収集の様子
     8月16日「夏休みに入ってからのLink」雨季のデータ収集の様子
2011年1月5日「あけましておめでとうございます」第2回目の交流事業の様子
     8月6日「ホアファイ村に行ってきました」雨季のデータ収集の様子
また、東日本大震災に際してのホアファイ村からのメッセージは以下にも記載。
2011年6月8日「タイ人たちの思い」
 どうぞご覧下さい。

(き)



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2011年12月20日火曜日

高校生が北タイの農家のくらしを体験! ②

12月16日、きのうに続いて水農(すいのう)のみなさんが、村での体験を重ねました。
きょうの企画は“パカニョーの伝統文化体験”。
日本ではカレンと呼ばれるこの多いパカニョーとは彼らの自称で、このホアファイ村ホイポン集落はLinkが一番最初に活動を行った村でもあります。

午前中は“必修”の農作業。一人一軒ずつ宿泊しているステー先の人たちとそれぞれ畑に行って、落花生や小豆の収穫などを行ってきました。

午後、最初の企画はパカニョーの餅つきでした。
蒸籠(せいろ)で蒸したモチゴメをアツアツのうちに臼(うす)に移し、杵(きね)で搗(つ)きます。
日本の餅つきと違って水は使わず、ゴマを臼や杵にたっぷりつけ、搗いている間にもこれを加えていきます。
できた餅は、その場であっという間に消費されていきました。

〔写真1〕パカニョーの餅:メトピを搗く


次はパカニョー独自の“ウルチ米バナナの葉包み茹(ゆ)で”。
この村、実はカトリック教徒の村で、パカニョー独自の儀礼などはまったく残っていないのですが、それでもその片鱗を見ることがまだあります。
バナナの葉でコメを包んで茹でるのですが、この包み方に“男包み”と“女包み”があって、これを作る時はセットで作らなければならないのだそうです。
これを儀礼に使ったり、どんな時に作るという決まりなどはもうないのですが、それでも包みは非常によくできていて、私も驚かされました。
炭火にかけた鍋で1時間も茹でると、中のコメはバナナの葉の色が移って薄黄色となり、何ともいえない淡い香りのする美味しいお米ができていました。

〔写真2〕“男包み”と“女包み”


米を茹でている間に始まったのが、竹かご編みです。
山から切り出して来た竹を編んでいきます。
村人がやってみせると簡単そうに見えるのですが、初めての人にはかなり難易度の高いもので、みな悪戦苦闘していました。
できたかごは、お土産にもらってきました。

〔写真3〕かご編みに挑戦!


最後は機(はた)織り。
Linkはかつて、すっかり化繊を使うようになって絶えていたこの村の草木染めの復活を支援したことがあります。
http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/project.html
これには男子生徒ふたりが挑戦し、未婚の女性用の白い衣装の一部を織ることができました。

〔写真4〕機を織る


〔写真5〕小さな見学者たち


標高約600mのところにある村の気温はとても快適で、いろんな体験をたっぷり積み、お腹もいっぱいになって、充実した一日となったようでした。

2日間にわたる全身を使った体験を終えてみなが眠りにつくころ、空には満天の星空が輝いていたのでした。

【お知らせ】
今回訪れたホイポン村の村人が草木染めを復活させる際に、Linkが紹介したのがランパーン県スィードンムン村の人たちの活動です。Linkの物品販売事業“北タイのハンディクラフト展示市”では、この村の製品を扱っています。関心のある方はお気軽にご連絡下さい。

http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/subpage/subpage06.html

(き)


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2011年12月19日月曜日

高校生が北タイの農家のくらしを体験! ①

12月13~18日まで、茨城県立水戸農業高等学校の生徒8人と先生方3人を受け入れて、村に行って来ました。
国境の町やメコン河を見た後は、チェンマイ北部のLinkの活動地でもあるホアファイ村で、村のくらしを体験してもらいました。

村での第1日目は主にコンムアンといわれるタイ系の民族がくらす、ホアファイ集落で過ごしました。
3つの班に分かれ、自分たちで畑や山、川に行って食材を集め、ディナーを作ろうというプロジェクト、その名も“ディナプロ”。
第1班は川で魚を獲ってきます。
第2班は畑で野菜などを集め、鶏料理も担当。
第3班は器となる素材集めから始めるお菓子作り。

魚獲りは、何時間も川を歩いて銛(もり)で魚を突いて獲るというもの。
しかし初心者においそれとできるものではなく、高校生たちは村人の技を思い知らされることに。
獲ってきた魚はスープと、“ナムプリック”という野菜などをつけて食べるトウガラシソースの素になりました。
スープ作りも、村人が山で狩りをする際に用いる方法を、実演してくれました。
鍋などは使わず、直径13-4cmはある大きな竹を使った器に入れて、これを炭で焙(あぶ)って茹(ゆ)でるというものです。

第2班は野菜やパパイヤなどを採ってきて、タイ名物“ソムタム”というサラダなどを作りました。
一つひとつ野菜を洗い、30cm以上もあるパパイヤの皮を剝き、目に入らないように注意しながらいろんな香辛料を混ぜていきました。
鶏をしめて解体しスープにする作業は、村人のアドバイスを受けながら、基本的には畜産科の生徒が全部やりました。
すごい!

お菓子作りですが、これがまた急斜面を登って素材を焼くための器となる竹の採取から始めるという、たいへんなもの。
川を渡渉し、急斜面で滑落したり、長い竹を運ぶ途中にあちこちに擦り傷を負いながらの苦闘が続きました。
村に戻るとまず、竹を切って大量の器を作りました。
ココナツの実を割り、中の果肉を削り出してココナッツミルクを絞り、これとモチゴメを器に入れ、椰子殻で栓をして、炭火で焼くという本格的なものです。

料理は日が暮れるころには次々できあがり、自分たちで素材から集めて作った味に、みんな満足しながらお腹いっぱい食べました。

次の日に隣のパカニョーと呼ばれる民族の集落で行った活動の紹介は、また明日。


         〔写真1〕お菓子の器になる竹を背負って村に向かう

        〔写真2〕専用の道具を使ってココナッツの果肉を削り取る

                 〔写真3〕鶏の羽根をむしる


          〔写真4〕タイ料理に欠かせないナムプリック作り

                  〔写真5〕大漁!

            〔写真6〕おいしい顔って、どんな顔?

(き)



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2011年12月11日日曜日

北タイの森を守る人を支える~ノンキョー村の完成式~

このプロジェクトは、森林保全を通して持続的な村おこしを図る村人たちを応援するものです。

村の地図作りから始め、これに村人たちの守ろうとするコミュニティ林の境界などを入れます。
村人たちが開発の大きな流れの中で何を得て、何を失ってきたか。
言い換えればその村の“来し方”を確認し、“行く末”を考えるための歴史を書きとめます。
村人のくらしがいかに森と共にあるか、その村のくらしがどんなに価値のあるものかを明らかにするために、村にある森林資源のデータとその利用方法を記します。
最後に1冊の冊子“村の百科事典”にまとめます。

ここに収められた情報の活用によって、村内および村外への発信力を強化する。組織を強化し、村人の活動が一層有意なものになるように応援しようというのが、この活動の主旨です。

村人と共に集めたデータをLinkがまとめ、村人に引き渡す”完成式“を、きょう、チェンライ県のノンキョー村で行ってきました。

活動開始以来10村目となるこのノンキョー村は、木村が24年前にフィールドワークを行って卒業論文にまとめた村、活動の原点ともいえる村です。

ここはラフという少数民族の村で、冊子の表記はタイ語だけでなくラフ語でも行いました。
また、地図の作成はすべてフリーソフトを使って行うという、技術面での課題にも取り組みました。

朝5時に事務所を出発し、200km走って村に向かいました。
9時にはこの村を構成する4つの集落のリーダーたちが集まり、スタッフのサムニアンが冊子の主旨と使い方などを説明しました。
今後、村人たちが自分たちで情報を足して改訂できるように、CDに焼いたすべてのデータも渡して、“完成式”を無事終えることができました。

Linkのスタッフが一丸となって新たな課題に挑んだ冊子が、村人に大いに活用されるように祈って、ノンキョー村を後にしました。




         〔写真1〕ノンキョー村の風景


     〔写真2〕“完成式の様子” 早速に活発な議論が・・・


          〔写真3〕“完成式”の後で

(き)


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2011年11月24日木曜日

ホアファイ村、収穫の秋に

11月22日(火)から1泊で、冬のスタディーツアーの打ち合わせのために、ホアファイ村にある2つの集落に行ってきました。
収穫の季節を迎え、村では緑の山々を縫うように黄金色の水田が広がっていました。

連日の収穫作業の疲れも見せず、村人たちはどのように日本からの高校生を受け入れればいいのか、さまざまな企画をいっしょに立ててくれました。
また、恒例となった駒澤大学とホアファイ中学校の合同水質調査の準備も、順調に終えることができました。

今年の遠足の行き先として村の近くの洞窟の下見に行き、奥行き500mというその規模に驚かされました。



                〔写真1〕ホアファイ村の秋


             〔写真2〕水質調査用の器具点検の後で


                   〔写真3〕タプタオ寺洞窟


(き)


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巨木の森を訪れて

パンフェーン村の“村の百科事典”作成も、いよいよ最終段階に近づいてきました。

11月20日(日)には、スタッフ3人で村の情報の聞き取りに村を訪れました。
先ずはじめに村の子どもたちが書いてくれた絵の中から、表紙に使うものを選んでもらいました。
集まった村人、子どもたち全員に小さく切った紙片を渡し、好きな絵の上に“投票”してもらいます。

次いで村の歴史全般、農業の変化、森林保護活動のことや、昔はいたのに現在ではもう見ることのできない動物のことなどを聞き取っていきました。
お昼は村長さんにご馳走になりました。
さりげなく、どうしてこの冊子を作る気になったのかと聞くと、35歳の若い村長は周りにいた小さな子どもたちを指さして、「この子たちのために」。

午後は、森に行きました。
村の周囲やコミュニティ林の境を村人と歩きながらGPS測位してきたサムニアンが、この村には大きな木がたくさん残っているというので、見てみたいと思っていたところでした。
Linkの4輪駆動車、ジープのはやぶさ号(1300cc)で、かなり尋常ではない山道を登ること30分、私もタイでは見たことがないほどの巨木が何本もそびえ立つ場所に行くことができました。

圧倒されると同時に、癒される何か。
とにかく圧巻というほかありませんでした。

こんな木が世代を超えて伝えられればどんなに素晴らしいことか。
がんばらなければ!
そんなことを思いながら、また数百メーターの山を下りて行きました。



          〔写真1〕国道118号線のパンフェーン村周辺のようす



             〔写真2〕表紙の絵をみんなで選びました


           〔写真3〕村の歴史を一つひとつ聞き取っていく



               〔写真4〕子どもたちに人気のスタッフ



                 〔写真5〕パンフェーンの森にて(1)



                〔写真6〕パンフェーンの森にて(2)   



               〔写真7〕 パンフェーンの森にて(3)



(き)




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2011年11月11日金曜日

ラフの村の“収穫祭”

毎年、雨季が終わって間もないこの時期にコメの収穫を祝って行われる“収穫祭”は、北タイのいくつかの民族にとって重要なお祭りの一つです。

 11月5日、Linkがいま活動を行っているノンキョー村での収穫祭に招待され、チェンライ県にあるこの村へと向かいました。ノンキョ―村には、いくつかの集落がありますが、民族や宗教は多種多様です。私が訪れたのはラフ・ナの人々の集落で、彼らが信仰するキリスト教式の収穫祭に参加してきました。今回行く機会のなかった隣のラフ・ニの集落はアミニズムを信仰しているため、異なる形式でお祭りが行われてたそうです。

 収穫祭の当日は、朝早くからそれぞれの家で食事の準備が始まりました。朝食は村長さんの家に招待され、豪華なおかずと新米をごちそうになりました。お祭りの日に欠かせないのは、生の牛肉とたくさんの香味野菜や唐辛子から作った一品です。こちらはご飯にとても合うため、新米との相性も抜群です。また、日本ではまず目にすることのない、赤いモチ米もこの日は用意されていました

                〔写真1〕生の牛肉で作った一品


                   〔写真2〕赤いモチ米

 朝食の後は、村の中心にある教会で行われた収穫祭の式に出席しました。式にはたくさんの人が集まり、来客がスピーチを行ったり、ラフ語の歌を歌ったりと終始和やかな雰囲気でした。式が終わると教会の前に集まって、村の人たちが作ったおかずをバナナの葉で包んで蒸した新米と一緒にいただきました。


              〔写真3〕教会の前で。これから昼食です。

 北タイでは、今もなお伝統的な文化を継承している村がたくさんあります。それぞれの村や民族の文化は多様で奥深く、驚いたり感動することもしばしばです。今回、村人にとってたいへん重要な行事である収穫祭に参加して、地域や民族のつながりを改めて感じました。

 さまざまな民族や文化は、もちろんチェンマイ市内でも日常的に出会うことができます。 しかし、村で過ごす時間は市内とはまた違う特別なものです。


(け)



2011年10月28日金曜日

初参加!山あり谷ありのGPS測位

1024日(月)、パンフェーン村へGPSデータの測位をしに行ってきました。私がチェンマイに来てから約半年が経った今回、初めて測位に同行することができました。

 「山で野宿しながら、何日もかけてデータを集める」
 「急斜面を登ったり降りたりするので生傷が絶えない」
 測位の様子を聞いていると、「私にできるのだろうか?」と弱気になってしまいます。しかし、山登りをした経験はほとんどないものの、高校生の時にマラソン大会で学年3位になった持久力で、村人について行こうという意気込みで向かいました。

 パンフェーン村に着くと、早速3人の村人が先導役となって測位が始まりました。村人たちはいきなり山の斜面を登り始めるので、田んぼの周りを測位すると思っていた私はついて行くので必死になってしまいました。村人とスタッフのサムニアンさんは斜面だろうがお構いなし。平地と変わらないスピードで上がっていきます。私は体力があるというのは思い込みだったことに気付き、村人において行かれないように歯を食いしばって登っていきました。



            〔写真1〕強い日差しが照りつける中、測位へ向かいます

 初めて体験する測位は、予想していた以上にハードでしたが、充実した一日でした。それは、村人たちの優しさやサムニアンさんが時折はさむギャグのおかげでもありました。私も当日使用した3台のGPS機械のうちの1台を持たせてもらい、危険だと止められた1ヶ所を除いて全部のポイントを自分の足で測位しました。急な斜面は、村人の助けがあったから登ることができました。

                   〔写真2〕大きなムカデを発見

 今回の経験を通じて、一から地図を作成するためには超人的な肉体と根性が必要であることを実感しました。今の私では顔色一つ変えずに軽い足取りで山を歩く村人やサムニアンさんの足元にも及びません。しかし、これを機会にして私もいつか、自信を持って「体力がある」と言えるようになりたいと思っています。

 パンフェーン村は、今まで活動してきた村の中でもっとも広い村です。そのため、GPSデータを集めるために今まで以上に時間がかかっています。私が同行したのはこの1日だけでしたが、サムニアンさんはこの後さらに2日間続けて村人と測位に出かけて行きました。



 後日サムニアンさんが、私が一緒に歩いて測位した行程をGoogle Earthで見せてくれました。広い村のごく一部でしたが、地図で見ると歩いた距離と測位したポイントがよく分かりました。パンフェーン村の“村の百科事典”は今年中に完成する予定です。完成したら、真っ先に自分が測位した場所を地図のページで確認したいと思います。
                〔写真3〕山の厳しさと楽しさを実感できた1日でした

(け)



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2011年10月20日木曜日

ラオス、イサーン研修

 10月10日(月)の夜から17日(月)の朝まで、ラオスのヴィエンチャンと、東北タイ(イサーン)のノンカイ、ウドンタニへ研修で行ってきました。自分の足で歩き、現地の交通機関を使いながら、その街に暮らす“人”や“土地の文化”を感じた7泊8日。書きたいことはたくさんありますが、ここでは以下の3つ(+番外編)に絞ってレポートしたいと思います。

① ブン・スアン・ファー(ヴィエンチャン)
 10月13日に、“ブン・スアン・ファー”と呼ばれるラオスの一大イベントが開催されました。“ブン・スアン・ファー”とはラオス語で「ボートレース祭り」という意味です。その名の通り、村や会社ごとに約30人のチームを組んで、ボートで競い合います。



ヴィエンチャンはラオスの首都とはいえ、チェンマイに比べれば静かで小さな街です。しかし、このお祭りの日は例外で、メコン川沿いの通りに多くの屋台が並び、たくさんの見物客で大賑わいでした。村からお父さんを応援に来た子どもたちとそのお母さんたちの姿、多くの外国人観光客の姿も見られました。
 照りつける太陽の中、朝の9時から夕方6時頃まで行われた“ブン・スアン・ファー”。地域の結束や家族の絆を感じられるイベントに参加でき、充実した1日でした。


          〔写真1〕“ブン・スアン・ハー”の様子。川岸にも多くの人がいます

② 鉄道(ノンカイ~ウドンタニ)
 ヴィエンチャンを後にし、メコン川を挟んでラオスと国境を接するタイの街、ノンカイに向かいました。ノンカイは東北線の終着駅で、ここから2駅先のウドンタニまでは鉄道で向かいました。約1時間の旅です。
 タイの交通は鉄道ではなくバスが主流ですが、ノンカイ駅構内には多くの人が列車を待っていました。土曜日の昼間だったせいか乗客のほとんどが家族連れで、車内は鉄道の旅を楽しむ笑い声であふれていました。私はというと、全開の窓にかじりついて、目の前に広がる田園風景や東北タイの田舎の景色を堪能していました。
                  〔写真2〕東北線の終着駅ノンカイ             

             〔写真3〕列車がノンカイに入ってきました

③ バーン・チアン遺跡(ウドンタニ)
 さて、ウドンタニへ無事到着し、向かったのはタイに3つある世界文化遺産のうちの1つ、バーン・チアン遺跡です。ローカルバスを利用したのですが、降りる場所が分からないので、車掌さんに「私はバーン・チアンに行きたい」とアピールしておくと、降りるバス停を教えてくれました。
 バーン・チアンは、1966年にその小さな村から発掘された土器が紀元前3000年頃のものであると判明し、注目を集めました。その貴重な土器や人骨などは博物館に展示されており、一つ一つ見ていくと遥か昔の生活が浮かび上がってくるようでした。



               〔写真4〕バーン・チアン博物館の入り口


 今回のブログでは、話題を3つに絞って書きましたが、ラオスやイサーンの文化について少しでも身近に感じていただければ幸いです。
 最後に、ウドンタニのバスターミナルでの小話を書きたいと思います。チェンマイ行きのバスを4時間待つことになったのですが、ある出会いのおかげで退屈せずに過ごしました。

【番外編】「おじさん、ありがとう」
 出発時間までベンチでひたすら待ち続ける覚悟をした時、近くにスルメを売っている屋台を見つけました。スルメは、お客さんが来てから炭火で焼き、その度に香ばしい匂いが広がります。無口だけど黙々とスルメを焼くおじさんと、買っていく人々の嬉しそうな顔を見ていると、あっという間に時間が過ぎていきました。私も最後にスルメを買い、おじさんの「コップンカップ(ありがとう)」という言葉に「こちらこそありがとう」と言葉を交わしてチェンマイ行きのバスに乗りました。何気ないウドンタニの日常が、最後まで私を楽しませてくれました。


                 〔写真5〕バスターミナルのスルメの屋台  


(け)

*写真はすべてクリックすると拡大して見ることが出来ます。


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2011年8月16日火曜日

「初めて」のスタディーツアー

はじめまして。今年の4月からLinkのチェンマイ事務所でスタッフになった、久留島啓です。
きむろぐに登場するのは初めてです。今後よろしくお願いいたします。

チェンマイに来てから4ヶ月間、たくさんの「初めて」を経験してきました
今回のブログは、最近「初めて」経験した1週間のスタディーツアーについてです。

8月8日、日本大学佐渡友ゼミのみなさんがチェンマイ空港に降り立ちました。
明るく好奇心あふれる12人の学生とのツアーが始まりました。

チェンマイに来た次の日からチャイプラカン郡にあるホイポン集落でのホームステイが始まりました。
豊かな森に囲まれたホイポン集落。
大きく深呼吸して、目を閉じた後に目の前に広がる景色は、まるで夢を見ているかのようでした。

      〔写真1〕ホイポンにて、笑顔あふれる日大生のみなさん

どこの家に泊まるかは着いてからのお楽しみ。
緊張した表情でステイ先へと歩いていく学生たち。
同じ内容の3日間を過ごした人はいないけど、全員にとってかけがえのない時間になったことと思います。

〔写真2〕村人と過ごす1日。村人と一緒に近くの“土柱”へ行ってきました

あっという間に3泊4日のホームステイが終わり、メーサイ、ゴールデントライアングル、チェンセンを駆け抜け、チェンライの街へ。
道中も常ににぎやかな学生たち。
「村の子どもたちは本当にかわいかった!」と村の子どもたちの写真を見せてくれる時の顔はキラキラしていました。

私にとってもこの7日間はあっという間に過ぎていきました。
初めてで至らなかったことも多々あったと思いますが、明るく接してくれた学生のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

たくさんの出会いや感動。日々学びと挑戦の繰り返し。
いま感じているのは、チェンマイに来てよかったということです。
(け)



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2011年8月6日土曜日

ホアファイ村に行ってきました

Linkでは、地域の環境を守る次世代の育成のために、それぞれの地域に合った環境教育のカリキュラムの作成支援を目的として、“環境教育カリキュラム作成支援事業”を行っています。
具体的には2009年12月以来、日本の駒澤大学とチェンマイ県北部にあるホアファイ村の中学校、同村の青年グループを結んで、5年間の交流活動を通してその可能性を模索しています。
 
今回は同大学から二人の専門家と学生さん一人が来訪。
1年前に設置した雨量計と温度計を新しいものに変え、4輪駆動のジープでファーン川の源流部の調査も行いました。
雨量計と温度・湿度計は途中の分校にも設置し、この地域のより詳細な情報の収集を可能にしました。

3回目になる今年12月の交流事業“水環境から村のことを知ろう”に向け、また一つ内容の充実度を高めることができました。


〔写真1〕Linkのはやぶさ号で源流部を目指す。青いシャツはホアファイ小中学校のサハチャート校長。


         〔写真2〕パーミヤン分校の建物の屋根の上に雨量計を設置。


             〔写真3〕水質調査をする駒澤大学のメンバー。

                    〔写真4〕森


(き)

*写真はすべてクリックすると拡大して見ることが出来ます



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2011年7月16日土曜日

北タイ・ハンディクラフトの里を訪問

Linkでは北タイの伝統文化の継承および農家の収入向上の支援と、Link自身の資金確保を目的として、北タイのハンディクラフトの販売事業を行っています。
きのうはその主たる支援兼購入先であるスィードンムン村を訪れました。

Linkの支援する村人の活動がフェアトレードの基準に合致しているかいくつかの項目について質問したほか、実際に染料を確保する森や、同じ村人の行う森林保全活動の現場を訪れたりもしました。

〔写真1〕村人と森を訪れて

新商品の開発の打ち合わせをしたり、実際の機織りや染色の様子も見せてもらいました。
お昼ごはんを挟んで終日、機織りグループのメンバーと楽しい一日を過ごしました。


〔写真2〕機織り機の前にて

みなさんとハンディクラフトの里を訪れて、フェアトレードについて考えるスタディーツアーの企画についても話が進んでいます。
乞うご期待!

この村や手工芸品販売については以下を参照下さい。
http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/subpage/subpage06.html
(き)



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2011年6月8日水曜日

タイの人たちの思い……

東日本大震災は、タイでも非常に大きく報道されました。
チェンマイでも、たくさんの方々からお見舞いを言われ、励まされました。

Linkがもっとも長いことかかわってきたホアファイ村からは、何人もの村人が心配して電話をかけてきてくれました。
スタッフの家族やスタディツアーなどで村を訪れたことのある人の中に被災者がいれば、村に来て休むようにと言ってくれる人もいました。
ホアファイ村小中学校ではすべての教職員と生徒たちが校庭に並び、日の丸と、「震災のお見舞いを申し上げます。みなさまの復興に際して、どうか元気を出されますよう」と書いたメッセージを持って写っている写真を送ってくれました。多くの教員や生徒が亡くなられた方に対する哀悼の意を表すために、頭を垂れているのが印象的でした。

〔写真1〕ホアファイ村小中学校からのメッセージ
※写真をクリックすると、拡大して見ることができます。

テレビをつけても雑誌を見ても、日本へのエールが連呼され、番組の中で、コマーシャルの合間に、繰り返し、繰り返し、義捐金の呼びかけが行われていました。
どの学校でも生徒会や父兄たちが何度も募金活動を行い、どこの町と言わずチャリティーバザーが開かれ、寄付を募るためのコンサートが全国で行われました。
それは震災直後に発生し、たくさんの死者を出したタイ南部における未曾有の大洪水の被害拡大の間にも止むことなく続けられていました。

町でも知人に会うたびに、「いま郡庁でやってきた」とか、「きのう赤十字に行ってきた」と声をかけられました。寄付に行ってきたよ、という意味です。
また、道を歩いていれば誰か彼かに呼び止められては、規律ある日本人の避難生活や復興への姿勢を “絶賛” されました。それは強力な、“がんばれ!”のメッセージに取れました。

地震の直前、Linkが販売しているハンディクラフト製品が、いつものスィードンムン村から届いていました。請求書が入っていなかったので、電話で問い合わせました。
振り込みの準備をしていると、翌日もう一度電話があり、「みんなで話し合った結果、全額を震災復興支援のために寄付したい」と申し出られました。

Linkでは、タイ人スタッフも日本人も、全員が、この震災に際して何かできることをしたいという強い希望を持っていましたが、本拠がチェンマイにあり、今の私たちの力ではできることが非常に限られていることから、最終的にはいま、自分たちがやっている活動に全力を尽そうということになりました。
ただ一つ、受け取った寄付金は責任を持って、Linkなりにもっとも適切と考えられる団体に持っていこうということになりました。

木村の帰国を前に議論を重ね、団体として活動の方向性が似ており、趣旨に共感でき、「地元NPOと連携し、救援物資などの支援から取り残されている被災地で支援活動を行っている」シャプラニールに託すことになりました。
http://www.shaplaneer.org/
きのう、会長の木村が早稲田にある事務所を訪ね、寄付金を渡してくることができました。

       〔写真2〕シャプラニールの事務所で

一日も早く、すべての行方不明の方々が見つかり、それぞれの地域のくらしが復興できますように、タイから、改めて、心よりお祈り申し上げる次第です。         (き)


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2011年5月22日日曜日

兵庫:武庫川、京都:六地蔵、札幌でハンディクラフト市開催!

恒例のハンディクラフト市を3ヶ所で開催します。
いつものように北タイ・ランパーン県のナムモンジェーソンの村人の作品。
村の周りの森から集めた原料を使って糸を染める草木染め。
すべて伝統の技術を使って一枚一枚手で織った民族衣装やかばん、ショールやコースター、シュシュ、ランチョンマット、タオル、テーブルクロスやベッドカバーなど。
会長の木村が活動地の写真なども持って伺います。
アジア雑貨やアジアの森と人々のくらし、フェアトレード、開発と人権、環境、もちろんLinkの活動などに関心のある方、お友だちも誘って、ぜひ遊びに来て下さい!

①兵庫・武庫川
【日時】5月29日(日) 11:00~17:00
【場所】(株)マイチケット事務所1階 会議室
阪神電車で梅田から10分。武庫川駅から徒歩2分
電話:06-4869-3444 
地 図:http://www.myticket.jp/doko.html
【情報】http://www.myticket.jp/2010.10Link-goods-shop.html

②京都・六地蔵
【日時】6月3日(金) 10:00~16:00
【場所】たんぽぽハウス(御蔵山商店街)
 JR奈良線六地蔵駅から徒歩5分
 宇治市木幡御園20-152
 電話:0774-31-4985
【情報】http://www.ujitanpopo.jp/index.html

③札幌・南二条
【日時】6月23日(木) 18:00~19:30 
【場所】Earth Cover南2条店2F  
行き方: 地下鉄東西線「西11丁目」駅より徒歩3分、
市電「中央区役所前」より徒歩3分
【情報】http://www.earthcover.com/company/index.html

◆Linkのハンディクラフト(物品販売事業)についての詳細は以下まで。 
   http://www.geocities.jp/link_chiangmai_forest/subpage06.html



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2011年5月18日水曜日

Twitter を始めました!

チェンマイからLinkの活動をより多くのみなさんに届けるため、このたびTwitterを始めました。

この「きむろぐ」では、不定期に活動の近況やお知らせを掲載していますが、Twitterでは、日々のとりとめのない話やスタッフの独り言、時にはイベントのお知らせやチェンマイの裏話なども掲載していきます。

【ID 】 ngo_Link
【ユーザー名】 Link・森と水と人をつなぐ会

Twitterをお持ちの方は、ぜひフォローしてください!

(き)



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2011年5月17日火曜日

タイでの財団化が大きく前進!

あれはもう3年近く前になるでしょうか。
Linkのタイでの活動基盤を強くするため、財団登録をすることになりました。
チェンマイ大学の教授をはじめとした5人(うち一人はスタッフのサムニアン)に理事になってもらい、財団設立準備総会を開きました。

タイで財団を設立するには基金が必要です。
Linkが目指す教育関連団体は約60万円が必要となります。
これがこの度やっと貯まり、Linkの事務所で同じメンバーに再度集まってもらい、報告がてら総会を開いたわけです。

3年前と違い、活動の成果である“村の百科事典”や、タイと日本の現場での活動の様子もスライドで見てもらうことがきました。
近日中に役所に書類を提出する予定です。
審査には数カ月から1年かかるといわれていますが、これでまた一歩前進です。

支援者のみなさまにはまさに蝸牛の歩みのごとく見えることかと思いますが、決して止まってはいないということで、ご報告まで。

なお、財団設立のためにご寄付をいただきましたみなさまに、この場を借りて心より御礼申し上げます。
必ずや、人と自然と未来のために活動する団体にしていきます。
ほんとうにありがとうございました。

               財団設立準備総会のようす



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