2009年12月31日木曜日

ふたつのスタディーツアー

今年もあっという間に大晦日。
年末にあった、ふたつのスタディーツアーの話で締めくくります。

ひとつ目は12月21日から実施した1週間弱のツアーです。
参加者は二人でしたが、Linkが活動してきた村に3泊し、村人の森を守る活動や、有機農業普及活動、自分たちの保全する森の産物を使った収入向上事業などについて、実際に現場を訪れながら話を聞きました。

村での3日目はクリスマスイブで、晩にはある村人の家を訪ねて一家総出の歓迎を受けました!


翌日にはファーン川、コック川に沿って移動して行き、ビルマ国境の町メサイで人の往来を見、ラオス国境にある古都チェンセンでゆっくりメコン川を眺めたり遺跡を訪れたりしました。

参加者とスタッフが話す時間もたっぷりとれて、少人数ならではの充実したツアーにすることができたと思います。


(写真:村人の草木染め作品をみせてもらう。)



ふたつ目は、以前から会報でもお知らせしてきた駒澤大学の教員・学生と、Linkが長年活動してきたホアファイ村の中学校との、水質調査を主とした交流事業。

ひとつ目のツアーを見送ったその足でこの一行を迎えるという時間的な制約だけでなく、初めての試みに私たちLinkのスタッフも、無事最後まで終えることができるのかドキドキの5日間でした。

その場その場で変更があったり判断を求められたりと、あたふたする場面もありました。
でも、いざ駒大側が器材を取りだして準備を進めると、みな真剣に日本から来た専門家の話に聞き入りました。
実際に川に行って調査をはじめると、子どもたち(中学2年生18名)はとても積極的に参加し、村人も同行した上いたるところで関わってくれ、ホアファイ中学校の先生たちも総出で協力してくれました。

まとめはみんなで手書きの地図を作成するところから始めました。
地図にpHやCOD、全硬度や硝酸イオン、アンモニウムイオン、それに流量などの、集めてきたデータを棒グラフにして貼り付けました。
できあがった地図を前に、大人も子どももいっしょに考え、駒澤大学の先生がコメントをしていきました。
水から見た自分たちの村の環境に、みな興味津々でした。

調査を無事終えた後は、駒澤大学のメンバーが全員でカレーと餅料理を作って振る舞いました。
子どもたちは北タイ独自の伝統舞踊を披露して歓迎の意を表すなど、最後までたいへん盛り上がりました。

継続的な記録ができる雨量計を校内に設置し、駒大生の来られない暑季や雨季にも調査ができるように器材も託し、来年の再会を約して村を後にしたのでした。







ふたつのツアーを無事終えることができたのも、参加者みなさんと村人の協力あってのこと。おかげさまでLinkにとっても良い年の瀬にすることができました。
ほんとうに、ありがとうございました!


さらに、この1年間ご支援いただいたみなさまにも、この場を借りて厚く御礼申し上げます。ほんとうに、ありがとうございました。
2010年も、どうかよろしくお願い申し上げます。(き)

2009年12月21日月曜日

★年末のお願いです!★

今日も暑いチェンマイ、事務所ではTシャツ1枚で作業しています。
午後になって、扇風機をつけようか迷うくらい。

さて、きょうはこれからスタディーツアーがはじまります。
参加者は今朝、成田を飛び立って、もうすぐベトナム上空に差し掛かるころでしょう。
今夜はスタッフと一緒にガイヤン(タイ風ローストチキン)を北タイの主食である餅米と一緒に食べに行きます。
その後は夜の繁華街を歩いて、早速いろいろな問題を考えます。
あすはLinkが活動する村に行き、森を守る活動をする村人の話を聞いたり、田んぼや森の中を歩きます。
村にはひとり1軒ずつに分かれてホームステイするんです。
クリスマス・イブもここで迎え、クリスマス当日には大河メコンまで辿ります。
空は晴れわたって常時真っ青。夜は満天の星がお約束!

この間、木村以外のスタッフはビルマ国境近くの村を回ってコミュニティー林の測位をする予定。
30日までLinkの予定はぎっしり。
年末、今年のラストスパート、がんばります!

さて、Linkでは今、不足する活動資金を補うための“年末年始募金”を行っております。みなさまのご協力を、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
≪恐れ入りますが、詳しくはトップに戻り、「寄付のお願い」のページの「寄付の方法」のところをご参照ください≫
〔12月21日 午後1時30分記〕(き)

慈雨

ここ数日、チェンマイはけっこう暑い日が続いています。
おととい、きのうと夜半に数時間、雨が降りました。
私が日本から戻った11月3日以降では初めてで、少なくとも1ヵ月半ぶりということになります。
空気がカラカラに乾いていたので、とても助かります。

一年中どの月にも雨や雪が降る日本から見ると不思議でしょうが、こちらは年の半分が雨季、残りの半分はほとんど雨のない乾季になります。
日本に育った私には、1ヶ月も間があけば、そこに降る雨はほんとうに感動的なもので、周りの人みんなに声をかけ、表に飛び出すほどです。目を閉じて雨が木々の葉を打つ音を聞き、上り立つ土の香りを胸いっぱい吸い込みます。・・・心があらわれます。

次の雨は3ヶ月後かも知れません。考えただけでも待ち遠しく、日本が恋しくなるほどです。
でも、こんなふうに自然を感じさせてくれる北タイの季節もまた、いいもんだったりします。             
〔12月20日 記す〕(き)

2009年12月20日日曜日

うれしいお客さん


はじめまして。Linkスタッフの富田千草です。
“きむろぐ”には初めて記事を書きます!

4月から働き始めて、あっという間に8カ月が経ちました。
チェンマイ事務所で、会計などの事務処理から村でのGPS測位まで、毎日楽しく働いています。

きのうの午後3時ころの出来事です。
チェンマイの事務所に、突然の、うれしいお客さんがありました。

いつものように机に向って仕事をしていると、背中の方から「サワッディーカップ(こんにちは)」という声が!
振り向くと……
私たちの活動地であるホアファイ村ホイポン集落から村人が二人、私たちに会いに来てくれたのでした。
近くで用を足したついでに寄ってくれた、とのことです。
私は彼らが来ることを知らなかったので、ほんとうにびっくりしました。

4月からホイポン集落には何度も行きましたが、村の人たちは新人の私にもとてもよくしてくれて、いつもいろんなことを教えてくれます。
そんな“お兄さん”たちと事務所で会えるなんて、うれしいサプライズでした。

私たちの事務所での仕事の様子も見てもらい、楽しくおしゃべりし、
「これからもいろんなことに挑戦し、どんどん成長して “いい仕事” をいっぱいしていきたいなあ」と思った、そんな午後。

日々是精進。
今後ともよろしくお願いいたします。(ち)

2009年12月15日火曜日

冬の霧

北タイの大半は山岳地帯。
冬の夜はとても冷え込みます。

夜8時あたりからしばしば猛烈な霧が出て、車の運転はとても困難になります。
自分の車のライトが反射して前が見えずに往生します。対向車のライトが100m、場合によってはそれ以上近づくまで見えない時も。

明けて、まるでミルクの中にいるような濃い霧に包まれた寒い朝。でも、日が昇るにつれて景色は劇的な変化を見せます。
立ち込めた霧が木々の間を縫うように動きだし、山々の輪郭がおぼろげに見え始め、一瞬水墨画のような幽玄の世界に引き込まれたかと思うと、次の瞬間には抜けるような空を背景に紅葉の山々が現れ、視界が”色”を取り戻したことを告げます。(き)

写真:14日、霧の107号線を北の国境に向けて走る

2009年12月8日火曜日

こっちの森と、あっちの森?

タイに行くというと、口の悪い友人は「ゾウに踏まれるなよ」とか「トラに食われないように注意しろ」などと言います。しかし実際には野生のゾウやトラがいる場所なんて、タイ全土探したって国立公園などの一部だけ。私は言いかえします。「そんな自然が豊かだったら森を守る活動なんてしに行くか!」

国土に占める森の面積を森林被覆率なんて言いますが、タイの場合はほぼ4分の1しかなく、国の目標とする40%には遠く及びません。それに比べ日本のそれは70%近く。世界屈指の数字です。にもかかわらず世界の木材を大量に輸入し、消費しています。その量は実質、世界一!
問題点を2点ほどあげてみます。

日本に輸出するための木の伐採現場では、しばしば住民の生活が顧みられることなく、ときには「国策」として木が伐られ、地域の暮らしや文化が根こそぎ破壊されてしまうこと。貧困化の大きな原因の一つがここにあります。この上に成り立つくらしを「やめられない豊かさ」として、次の世代にも引き継げばいいのでしょうか?

もう一点は、私たち自身の国の森のこと。人件費が高いから外材が入ってくるのは止むを得ない? そう。コストの問題は大切です。しかしそれだけではありません。日本の森はその多くが人と共にありました。日本人のくらしはタイのそれと同じように、森から多くの恵みを得て成り立ってきました。田んぼの水がそうであり、建材や食べ物、薬や染料まで、あらゆるものが森とつながり、そのために森も人の手によって管理され、維持されてきた。そのバランスが失われ、いま日本の森は危機的なまでに荒れてしまっています。これは日本の文化の継承が難しくなっていることを意味します。森と生きる技術を伝えられる人は年々減るばかり。最近訪れることの多い熊野で森の達人たちに話を聞くたび、日本の森の豊かさに圧倒されると同時に、いま私たちが失おうとしているものの大きさに絶句する思いです。

問題点を2つに分けて書いてみました。しかし実は、「国境」なんてものに縛られずに考えてみれば、説明はもっと簡単。私たち自身のくらしの多様性、豊かさが失われているということになるのでは?
ここには、しばしば私が問われる「なんでタイ?」の答えの一部もあるのです。

写真:熊野の森とチャイプラカン(チェンマイ県)の湿地林

2009年12月4日金曜日

ホイボン村に行きました

早いものでもう師走ですね。
チェンマイ市内もだいぶ涼しくなりました。
山の村では毎朝霧がかかり、朝晩はかなり冷えるという感じです。

さて、12月2日にホイボン村に行きました。スタディーツアーでお馴染みの集落は“ホイポン”、こちらは“ホイボン”と濁ります。と言っても、ホイポン集落の場所に最初に来た人たちは39年前にこのホイボンから新しい土地を求めて移住してきたので、双方は今もよく人の行き来があります。オートバイで30分ほど。

この村でも“村の百科事典”作成の活動をしてきました。コミュニティー林を示す地図は5月には出来ていたのですが、村人はビルマ国境近くまである広大な村域を示す地図も作製したいと思っており、半分まで作ったのですが、残りの村境がどこを通っているか分からず、とりあえず中断。ここまで集めた村の歴史や宅地、コミュニティー林の範囲を表す地図などをまとめた冊子を村長に渡しに行きました。
とりあえず10冊。村長や村長補佐2名、開発委員(オーボートー)2名には各1冊ずつ、教会(この村はカトリック教徒の村)に2冊、学校に3冊配布。
子どもたちも親しみを持って村の歴史を知る機会にしてもらえるよう、タイトルは「わたしの村 ホイボン」とし、表紙や、中の空きスペース数ヵ所には小学生の書いた絵も入れました。

村長はしきりに礼と「嬉しい」のことばを繰り返し、村域を表した地図の完成だけでなく、今後もっといろんな情報を足して、改訂版を作成したいと、完成したばかりの冊子を前に早くも次への意気込みを語っていました。

森を守る活動は非常に苦労が多いものです。守る人に収入があるわけでもなく、一方で理解のない村人もいるし、悪徳業者や権力者が貧しい人を雇って木を伐ってしまうことも後を絶たないからです。
冊子には、この自然を守り、これ以上失うまいとの気持ちをこめて、数は少ないですが、村内で見られる、そしてかつて見られたがいまはもう見ることがなくなってしまった魚と鳥の名前も記載されています。

ほとんどが村長の筆跡。地図を作製、これらを合わせてページを振り、冊子に簡易製本するのはLinkがしました。
村長はコピー代を出すといいますが、村で森を守るのと、街にいてLinkのような活動をし、水を使わせてもらうのはお互い様だからと、それは受け取りませんでした。ただし、私たちは村を訪れるたびにご馳走になり、美しい村や山々を必死で守る村人たちにいろいろな話を聞かせてもらいながら楽しく歩き、夜には満天の星空を見せてもらっているので、むしろもったいないばかりの話のような気すらするのです。