2010年1月11日月曜日

あけましておめでとうございます

◆謹賀新年
あけまして、おめでとうございます。
2010年も、何卒よろしくお願い申し上げます。
〔2010年元旦 記〕

正月休みで遅れましたが、この間に書いた文章をいっきにアップします。


◆ラフの正月
3日、木村が大学生の頃に滞在したことのある村に呼ばれて行ってきました。

チェンライ県のこの村は、ラフ・ナとラフ・ニという、2つの少数民族の集落からなっています。
この村にはラフ・シの人も多く、他にもタイ系の民族もいればアカや漢族などさまざまな民族の人がいますが、こんなことは北タイの山ではしばしばあること。

村には夕方、着きました。
泊まったのはラフ・ナの村ですが、夕食後、早速ラフ・ニの集落に遊びに行きました。
ここのラフ・ニは精霊を信仰しており、踊るのは夜です。  

村の真ん中にある広場に、おおよそ1メートル間隔四方に4本の竹が立てられます。
竹の先端は緩く弧を描き、高さは二階家の屋根ほどもあるでしょうか。
色紙や風船が飾り付けられ、地上1.5mほどのところには祭壇が設けられていて、供犠された豚の頭や餅などが供えられます。
明るい月の下、この祭壇の周りでは一晩中踊りが続けられるのです。
朝まで踊らなければ、精霊の怒りをかい、供え物は持ち去られると信じられています。



     写真:ラフ・ニの正月祭りの祭壇。供えた豚の頭、銅鑼(ドラ)や餅が見える。


清冽な空気の中、竹が空高くのび、色紙が風にそよぎます。
この周りで人々は瓢箪笙(ひょうたんしょう)を吹くリーダーを先頭に、複雑な足のステップを踏み鳴らして踊り続けるのです。
銅鑼(どら)や、太鼓、シンバルだけで踊ることもあれば、両者が一緒に鳴らされることもあります。
多くの人たちがこの日のために準備しておいた、パッチワークと銀細工の美しい下ろし立ての民族衣装を身に着けて、踊りの輪に加わります。



                写真:祭壇の周りで夜通し踊る


夜10時過ぎ、踊りの輪が一旦止まり、広場には瞬く間にゴザが敷かれ、客人をもてなす食事が供されます。
村人の一致団結した身のこなしが美しい。
村人たちもあちらこちらに車座になって、共に食事をしながら祝います。
正月は村人同士の団結を確認し、新たな年の豊穣を祈念する祭りでもあるのです。

食事が終わればまた踊り、かくして夜は更けていきます。



翌日はラフ・ナの村で過ごしました。
ここはキリスト教徒の村。
ちなみにラフ・ナとラフ・ニは言葉はかなり似ています。
しかし民族衣装はまったく違うし、ラフ・ニの多くが精霊信仰なのに対し、ラフ・ナやラフ・シの大半はキリスト教徒(プロテスタント)です。

さて、広場の真ん中には本来、松が立てられるのですが、見つからなかったのか、今年はサワラのような木とサトウキビが立てられていました。




ラフ・ナの踊りは男踊りと女踊りに分かれます。
瓢箪笙(ひょうたんしょう)を使った男踊りは、ラフ・ニのそれよりさらに、非常に複雑なステップを踏みます。
瓢箪笙が奏でるのは、とにかく西洋音楽の基となるドレミの発想とは全く別次元の「音楽」。何台もが同時に奏でる笙は一台一台違った音を出し、ステップはどこから始まっていつ元に戻るのか、ちょっとやそっとではわかりません。
名人たちのステップにはしばしば規則はなく、しかしある時点で一斉に地面を強くパーンと踏みならして突如終わったりする、それはもう、一緒に踊れば全身に鳥肌が立つような、神がかり的なものです。


               写真:ラフ・ナの女性たち



            写真:ラフ・ナの男踊り―瓢箪笙を吹き鳴らす―




学生時代、東京に生まれ育った私は、これが土地に根ざした文化というものかと、呆然となったものです。
そして今もその感動は変わりません。

古い友人たちとの話は尽きませんでしたが、いつの間にか村の子どもと仲良くなってどこかに行ってしまっていた小1の娘を探しだし、みな互いに別れを惜しみながら、夕方にはチェンマイに向かって200kmの道を戻ったのでした。

トランクには土産にもらったたくさんの餅と新米を積んで・・・。
〔1月4日 記〕


◆ラフの餅
前回、ラフの正月に行って餅をもらった話を書きました。
これについてもう少し書きます。

チェンマイには日本人が3,000人近く住んでいます。
幾つかのスーパーでは、餅も醤油も味噌も、いつでも手に入れることができるんです。
もちろんこれは日本人向けに売っているもので、多くが日本から輸入しているものです。

面白いことに、北タイの主要構成民族であるタイ系のコンムアンの主食は餅米なのですが、これを蒸してからついてモチにする習慣はありません。
一方、少数民族はみなウルチ米を主食にしています。
日本人と同じで、しかも10年チョイ前にあったコメ輸入時にたくさん入ってきたいわゆる“タイ米”とは違って、より日本のコメに近い、短粒種です。
ところがこれら少数民族の中には、正月に餅をついて食べる習慣のある民族がいくつかあるのです。

たとえばパカニョーは餅を“メトピ”、ラフは“オプ”と呼びます。

ラフの村。
正月にはどの家でも繰り返し餅をつきます。
日本と違うのは、つく時にゴマを使うこと。
水は使わず、杵にも臼にもゴマをたっぷりまぶします。
使う餅米は白いものが多いですが、濃い紫色したコメの場合もあります。

餅をつく際には、悪い精霊が取り憑かないように、必ず爆竹が近くで鳴らされます。

当然、つき立てがもっともうまいですが、すぐに直径7~8cmの円盤状にします。
互いにくっつかない様に、殺菌効果もあるらしい松の葉を敷いて重ねていき、保存します。
といっても日中は暑くなるので、2~3日もすればカビが来ます。
だから餅が固まるのを待って、客が来る度に次々に包丁でスライスしては揚げ餅にして出すのです。

正月祭りの間中、客人には酒と揚げ餅、お茶、さまざまな豚料理で、もてなしが行われるのです。 

そして帰る客には餅、新米、豚肉などが持たされる、これがラフの正月です。






〔1月9日 記〕