2010年3月30日火曜日

北タイで環境に携わる人たち②

去る3月23日のこと。
チェンダオの有名な環境NGO“ピン川上流域管理プロジェクト”を訪れた時の話です。

代表のニコム プッターさんは、タイでも屈指の環境活動家です。
チェンマイの県庁所在地から北へ70kmほど行ったチェンダオという町の出身で、今もここを拠点に活動を続けています。
コミュニティー林活動をする村人の支援や、環境に関する政策提言なども積極的に行ってきました。
数年前にはチェンマイに建設されようとしていたナイトサファリに反対し、出演していたテレビ番組の収録後にスタジオの中で暴漢に襲われたりもしました。
ニコムさんの指摘は多くが当たり、シンガポールのナイトサファリに匹敵するという触れ込みで開園したナイトサファリは、その後、多くの動物が死んでしまい、今では訪れる人もあるのか、ないのか・・・

ニコムさんは最近、集会場や宿泊施設もある研修センターを完成させ、子どもたちの自然教室のような行事も行っています。
現場に現れる彼はいつも、ライオンのように髪をオールバックにして黒縁めがねをかけ、さらに百戦錬磨の経歴が彼をちょっと怖く見せたりすることもあります。
しかし実際に会ってみると、子どもと自然が大好きで、草花茶をよく飲む、ほんとうは穏やかなおじさんなんだな、という印象を受けます。
環境教育などについて侃々諤々(かんかんがくがく)のやり取りが続く中で、ふと、「鳥の声がいいでしょう・・・・」などと、それまでの話とぜんぜん違うことを突然言って、みなを和ませたりします。
実際、研修センターの中は小川が流れ、周りを山々が囲み、鳥たちのさえずりが絶えることなくシャワーのように降り注ぐ感じの場所なのです。
「私はもう大人には関心がない」という彼は、くらしの厳しい少数民族の子どもたちなどを対象にしたワークショップをして、地域を担う次世代の人材育成に取り組みたいと、構想を聞かせてくれました。
その実現のために、また飽くことなき“大人”たちとの駆け引きが待っているであろうことも厭わずに。

訪問の目的であった、最近の北タイのコミュニティー林保全活動の全体的な流れ、状況などについて教えてもらうと同時に、私たちの最近の活動の成果である“村の百科事典”を数冊持参して見てもらいました。
「うむうむ、こういう活動もいいね」
なんとか合格点をもらうと同時に、来年度以降の活動地などについてもアドバイスをもらいました。

「チェンダオに来ることがあったら、いつでも家に来て泊るといい」。
北タイの環境保全活動の大先達であるチャンチャイ先生とニコムさんにそう言われ、お昼までごちそうになって、チェンダオ訪問は終わりました。



〔写真1〕タイを代表する環境活動家の一人、ニコム プッター氏



〔写真2〕“ピン川上流域管理プロジェクト”の集会場にて

2010年3月25日木曜日

北タイで環境に携わる人たち①

22日の月曜日、チェンマイ市内の事務所から160kmほど北にある、マイポーガム村に行きました。
73世帯の小さな村ですが、村長たちが森を守る活動をしており、Linkが村人と協力して作ってきた地図や村の歴史情報を冊子にまとめ終えたため、それを渡しに行ったのです。

引き渡しは、今後3年間の村おこしの計画を議論する村の集会の冒頭で行われました。
スィンワン村長は、余計なことは言わないとても誠実な感じの人で、まず、集まった村人に対して私たちのことを丁寧に紹介してくれました。
スタッフのサムニアンが冊子の内容などについて簡単な説明をし終わると、村人たちから拍手が沸き起こりました。
さらに重ねて村長から丁重な礼を言われ、私たちは集会場を後にしました。
その晩は車で1時間ほど走り、古巣のホアファイ村ホイポン集落で泊まりました。



〔写真1〕マイポーガム村で“村の百科事典”について説明する





〔写真2〕スィンワン村長に“百科事典”の引き渡し


翌23日の朝8時過ぎには村を出、チェンマイ方面に1時間ほど走り、チェンダオという町のとある高校に行きました。
ここには、以前から私たちがいろいろな相談に乗ってもらっているチャンチャイ先生がいます。
環境教育に非常に熱心で、どこかとぼけた感じだけど暖かく、穏やかな話の中に鋭い指摘がたくさん含まれている、そんな人です。
こちらでは“先生”というとけっこう権威で、生徒たちにも威圧的な人が少なくありません。
しかし、チャンチャイ先生は、例えば訪問者が環境について尋ねている最中に自然保護サークルの生徒が通りかかると、全て生徒に話を任せてしまいます。
曰く、「私のやっていることは生徒が体現していることが全てです」。
自然保護サークルの生徒はみな、この小さな町が大好きで、とても誇りに思っています。
私も一度、その1年ほど前に会ったことのある女子生徒に、「木村さんはまだチェンマイに住んでいるのですか? で、いつチェンダオに移ってくるのですか?」と“まじめな笑顔”で聞かれたことがあります。
生徒なんかに任せておけないと、生徒には話をさせなかったり、生徒が話していてもすぐに割って入る先生が多いのに、この先生はいつも泰然としたものです。

タイでは環境保全活動はいつも困難が伴います。
つらい経験も山のようにあったと思うのですが、いつも生徒のことを考え、予算確保に走り回り、自らも研修に出ては勉強を続けているチャンチャイ先生。
バンコクに生まれたのですが、学生時代に旅をしていてチェンダオに惚れ込んだそうです。
のちに教師になり、こちらに転勤して来て25年。
あと3年で退官してしまうのが、いまからとても惜しまれます。
しかし今は、後進の教員の養成にも取り組んでおられ、また退官後も学校の近くに住むということで、ちょっと安心です。

久しぶりに訪問した私たちの活動の進捗状況を喜んでくれました。



〔写真3〕Linkの依頼でホアファイ中学校の生徒たちに講演してくれた際のチャンチャイ先生(2008年2月)



この後、もう一人、タイを代表する環境保護の活動家にチャンチャイ先生も一緒に会いに行ったのですが、その話はまた次回にでも。

(き)

2010年3月21日日曜日

近況 Link !

前回の掲載からずいぶん間が空いてしまいました。
日本からは少しずつ春の便りが聞こえてきますが、年度末、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?

前回のブログアップは2月24日。
きょうはそれ以降の約1ヶ月を、駆け足で振り返ります。

まず、2月25日にLinkの本部事務所が、埼玉県の川越から、東京の豊島区に引っ越しました。
◆新しい事務所の住所<東京本部事務所>
〒170-0004
東京都豊島区北大塚3丁目29番3―205号

3月5日に日本で人身売買に反対する活動を続けるNPO“てのひら”の代表が事務所を訪れてくれ、情報交換をしました。
Linkも厳しい状況にある子どもたちにかかわることがありますが、専門家の情報に驚き、また多くを学びました。
知ってますか? “いま、世界で、6秒に1人が、人身売買されているという現実”
http://www.geocities.jp/tenohira_trafficking/
(Linkのホームページリンク集からも入れます)

3月6日~13日は、お茶の水女子大学の“国際協力実習Ⅱ”という授業の受け入れをしました。
村に3泊しながら北タイ山村のくらしや文化に学び、その後ビルマ国境、メコン川、チェンセンやチェンマイの遺跡をめぐり、下町の市場見学なども行いました。
こちらでストリートチルドレン支援を行っている団体のスタッフの協力を得て、夜の街を実地に歩いてみたりもしました。


〔写真1〕お茶の水女子大学の実習にて


14日は関東学院大学のスタディーツアー一行に対して講演をし、北タイ山村住民のくらしがどう森とかかわり、どのような問題を抱えているのか、そのメカニズムについて話をさせてもらいました。
一緒にお昼ご飯も食べに行きました。
イスラム料理。
チェンマイにはイスラムコミュニティーがいくつかあり、おいしい食堂もあるのです!


〔写真2〕関東学院大学のみなさんと


17日には前回のブログで書いたデンムアン村に再び行ってきました。
前回のは予備調査で、今回はお寺の集会場を使っての本格的なワークショップ。
30人以上の村人の参加を得て、村の歴史や、村で見られる、またはかつては見られた生き物の情報を集めました。
1月28日のブログに書いたものと同じ、“村の百科事典”作成のためです。
開発の波が及ぶに従って、魚や貝、鳥など、実に多くの生き物が消えていったことが明らかになりました。
同時にいくつかの外来種が入って、食害が広がったりしています。


〔写真3〕デンムアン村のドーイ寺にて

18日は会報を発送しました。会員のみなさんの手元には1週間程度で届くと思います。
お楽しみに!
1部だけですが、今回からアフリカにも発送されるようになり、これでアジア、アフリカ、北米大陸に会報が届くことになった次第・・・・ちょっと大げさ?
まだ入会していないみなさん、是非、会員になって、Linkを支え、会報をご購読ください!
ご連絡、お待ちしております。

19日には富田が一時帰国。
これまでに年度末の仕事をやっつける必要から、メチャクチャに忙しい毎日が続きました。
富田はしばらく日本で休暇と研修をしてきます。

この文章を書いている今は3月20日、タイ時間午後5時。きのう、おとといと、午後に空が真っ暗になって雷が鳴り響き、実に久々の雨をもたらしたせいで、連日の酷暑はちょっと一息です。
この季節に名物の、山火事によるひどい空気の汚れも多少は改善され、湿度も手伝って、呼吸がしやすい感じで助かります。

2010年度の予定を立てています。来年度に団体でスタディーツアーを予定されている場合は、お早めにご相談ください。

では、きょうはここまで。
〔3月20日記〕(き)

2010年2月24日水曜日

20年目の再会

日本は各地とも、やっと少し暖かくなってきたようですね。

チェンマイですが、早朝はまだけっこう涼しいですが、日中はかなり“酷暑”という状況に近くなってきました。
なんせ、雨がぜんぜん降りません。
山では、あちらこちらで火事が起こっています。
来る日も、来る日も、晴ればかり。
空はホコリと煙で霞んできました。
それでも日差しはきつく、屋外に出ると肌がチリチリします。
長袖は必需品!

さて、きのうはデンムアン村に行ってきました。
Linkの活動地はチェンマイ市内から北へ150km前後のファーン川流域に広がっているのですが、この村は唯一チェンマイから南々西の方向にあります。
市内から約35km、車で1時間ちょっとです。
実は昔、私が大学院生だったころに調査でお世話になった村の隣村でもあります。

村長の自宅に数人の村人に集まってもらい、聞き取りをしました。
集めたのは村の歴史の概要や、村の周辺にどんな生き物がいて、またどんな生き物がいなくなってしまったかという情報(1月28日の“きむろぐ”参照)。

とっても美味しい揚げバナナをご馳走になりながら、和気あいあいと聞き取りは進んだのですが、驚いたのは、30代の村長の父親にあたる老人が私を覚えていたこと。
「どこで会ったかな」というので、「20年前に隣村のミー村長の家に数ヶ月いたことがあります」というと、事もなげに「そうだったか」と一言。
印象的だったのは、他の人のように「日本人かどうか」などの細かいことは一切気にもせず、すぐにまたやりかけの家周りの作業に戻っていったことでした。

私のいた村からみるとデンムアン村は街と反対の方向にあり、しかも3km近くも離れていたので、滅多に訪れることはありませんでした。
そんな村で、20年も前に会った私を覚えている人がいる。
どこか嬉しく、なんとも言えない不思議な気持ちにさせられたのでした。


村人数人と縁台を囲んで聞き取りをした時の一コマ。真ん中の人が村長。右にできたての揚げバナナ。


村長の家の前で撮った1枚。20年前と違うのは、道路が舗装されたこと。

2010年2月7日日曜日

パカニョーの結婚式

きのう、Linkのいちばん古くからの活動地であるホイポン村の結婚式に出てきました。

金曜日にメーアイ郡のサンパカーという村で話し合いを終えて、ホイポンには夕方6時ころに着きました。
新婦はホイポンの人ですが、新郎はバンターという町に住んでいる同じパカニョーという民族の人だそうです。

新婦の家の前では早くも豚をつぶして酒盛りが始まっていました。
満天の星空の下、ビールと手作りの焼酎をこれでもかというほどご馳走になりました。

翌、土曜日。
朝、教区の神父を迎え、教会の鐘が鳴らされて、式は9時半ころにはじまりました。
神父さんは私の記憶違いでなければ確かイタリア人ですが、式はすべてパカニョー語で行われます。
ホイポンはカトリックの村で、新郎も同じくカトリックだそうです。

まず新婦の家から、子どもに続いて新郎新婦、参列者の行列が教会に向かいました。


教会に入ると正面のイエスの絵に向かって右側に新郎とその友人代表、左側に新婦とその友人代表が立ち、後ろには参列者たちも同じように右半分に男性、左半分に女性が並びました。



新郎新婦は民族衣装。
パカニョーの場合、伝統的には未婚の女性の衣装はワンピースです。
しかし結婚式からは、既婚女性用の上下で別れた、織や刺繍の凝った衣装に独特の頭巾(ずきん)をつけるようになります。
ただし結婚式では純白のベールをかぶります。
新郎は白いワイシャツの上に民族衣装を着ています。

式の最中、騒ぐ子どもがいました。
父親がこの小さい娘を抱きとめると、娘の強烈な平手打ちが父親の右頬を見事にとらえました。
一瞬、みなの意識がこの親子に集中し、また式のほうに戻って行きました。

咳き込む年寄りがいました。
痰が切れると窓際まで行って、この式場のある2階の窓からペッ。
周りの人が気遣って腕を支え、もとの位置に戻るのを手伝いました。

「汝はこの者を終生・・・」という神父の問いに新婦がモジモジすると、厳かに式を進めてきた、一見ちょっと怖そうな神父が、「ん? どうなんだ?」と、ドングリのような大きな目をさらに見開いて問い直しました。
会場がどっと笑いに包まれ、「しっかりしろ」ってな感じのヤジが飛びました。




民族衣装を着た新婦の友人が一生懸命デジカメで写真を撮り、指輪の交換があり、聖体拝領があり、この間、何曲もの讃美歌が歌われ、式は小一時間で無事終わりました。
厳かであり、でも同時に何かとても微笑ましい、等身大のというか、とっても親しみの持てる式でした。

式の後、新郎新婦が神父や親戚一同とひとしきり記念写真を撮り終えると、舞台は教会のすぐ横にある新婦の実家に移され、食事がもてなされました。
何種類もの豚の手料理に、酒もふんだんに出され、挨拶して回る新郎新婦にご祝儀が渡されていきました。

村の結婚式といっても、今はいろいろです。
今回はとても親しくしている家の娘さんの結婚式で、私はちょっと緊張していたのですが、とてもいい結婚式でした。
この式のために町から戻ってきた人たちもたくさんいました。
前の晩から和やかで楽しげな雰囲気が村を覆い、とても自然な感じの式となりました。
村中が、ごく普通に、新しいくらしの第一歩を踏み出そうとするふたりを祝福し、ともに感動し、いい酒に酔っているようでした。

私たちも、温かい気持ちをたくさんもらって帰途についたのでした。

2010年1月28日木曜日

“村の百科事典”をつくる

月曜日から火曜日にかけて、4つの村に行ってきました。
そのうちの一つ、チェンマイ県最北のメーアイ郡にある、ビルマ国境の山稜を望むサンパカー村での活動の様子を紹介しましょう。
この村はチェンマイ市から北へ約170km、車でおよそ3時間。

GPS(全地球測位システム)を使って村人と一緒に歩いて作ったコミュニティー林の地図は既にできており、まずはその読み方を村人に説明しました。

この日のメインは村人やお坊さん、小学校の校長先生などに集まってもらい、村の歴史や村で見られる生き物の情報を集めること。
歴代村長の名前、森林破壊や野生動物が消えていった様子、電気や電話、自転車やオートバイ、トラクターが入ってきた年、農作物の変遷、学校、寺院の設立年などを思い出してもらい、A4の紙に大きく書いて、みなが見えるように床に並べていきます。
字が読めない人がいる場合もあるので、描けるものにはなるべく絵も入れていきます。

“詳細かつ厳密な”とまではいきませんが、おおよその村の歴史を浮き上がらせることはできます。
どこでも町史や村史が残る日本と違い、北タイの村ではこういった記録がほとんど残っていません。
村おこしの計画を立てようとしても、子どもたちに村の出来事を伝えるにも、こういった記録がないために、村人同士で情報を共有することが困難となっています。

“生き物の情報”とは、野生の動物や鳥、魚などのうち、かつては村にいたけど今はもう見ることが出来なくなってしまったもの、今も見ることが出来るものに分けて記録していきます。

私たちが主に活動するファーン川流域では、おおよそですが、30年ほど前を境にどこでも野生動物が激減する傾向を見て取ることができます。
このわずか数十年の間に消えてしまった野生の動物の種類は、どこの村でも二桁にのぼります。
ズラリと並ぶ、今はもう見ることができなくなってしまった生き物のリストに、森を守ろうと取り組む村人たちも、考えるところが少なくないように思えます。

生き物だけではありません。
みんなで出し合った出来事を並べてみると、ここ数十年間の村のくらしの激変は一目瞭然。

紙に書いた情報は、村人が1週間ほどかけてまとめます。
ワープロ打ちする場合もあれば、村長直々に手書きする村もあります。

コミュニティー林を含む村の地図、歴史、生き物の一覧は、小学生たちが描いた村の絵を添えて冊子にまとめられ、村の役員や学校、寺や教会に配られます。

これをLinkでは“村の百科事典”と呼んでいます。


    ① おおよそのテーマごとに情報を聞き取り、年号順に床に並べていく(サンパカー村)




  ②「この村で最初のバイクは、タイ仏歴2512年(西暦1969年)にポンパンさんが買った“HONDA50”」という意味(サンパカー村)




          ③コミュニティー林の地図と“村の百科事典”

2010年1月16日土曜日

日 食

とある月刊紙に頼まれた原稿の締め切り日というのに、きょうは“日 食!”。
午後2時過ぎあたりから、チェンマイ中の人が空を見上げてました。

見なくても困らないし、腹が膨れるわけでもない。
でも見たいかと聞かれれば、ちょっと見たい。

しばらく前に、日本でも皆既日食がありましたよね。
あの時、ニュースで「木漏れ日を見ればいい」とか言ってるのを聞いて、“ふ~ん、おもしろいもんだ”とか妙に納得していたのですが、実際に見て、あっけなく感動してしまった。

「別に見なくても困らない」が、「いやぁ、見てよかった」にあっけなく変更。
見たからといって財布の中身が増えた訳でもないけど、でも、よかった。
得(とく)した気分です。

なんかやっぱ、自然って、おっもしろいですね。

日は傾き、三日月形の木漏れ日が玄関先のコンクリの上を少しずつ動いて行くのを、一心不乱に見呆けていました。

それだけ。
おしまい。
〔1月15日記〕(き)