2009年12月4日金曜日

ホイボン村に行きました

早いものでもう師走ですね。
チェンマイ市内もだいぶ涼しくなりました。
山の村では毎朝霧がかかり、朝晩はかなり冷えるという感じです。

さて、12月2日にホイボン村に行きました。スタディーツアーでお馴染みの集落は“ホイポン”、こちらは“ホイボン”と濁ります。と言っても、ホイポン集落の場所に最初に来た人たちは39年前にこのホイボンから新しい土地を求めて移住してきたので、双方は今もよく人の行き来があります。オートバイで30分ほど。

この村でも“村の百科事典”作成の活動をしてきました。コミュニティー林を示す地図は5月には出来ていたのですが、村人はビルマ国境近くまである広大な村域を示す地図も作製したいと思っており、半分まで作ったのですが、残りの村境がどこを通っているか分からず、とりあえず中断。ここまで集めた村の歴史や宅地、コミュニティー林の範囲を表す地図などをまとめた冊子を村長に渡しに行きました。
とりあえず10冊。村長や村長補佐2名、開発委員(オーボートー)2名には各1冊ずつ、教会(この村はカトリック教徒の村)に2冊、学校に3冊配布。
子どもたちも親しみを持って村の歴史を知る機会にしてもらえるよう、タイトルは「わたしの村 ホイボン」とし、表紙や、中の空きスペース数ヵ所には小学生の書いた絵も入れました。

村長はしきりに礼と「嬉しい」のことばを繰り返し、村域を表した地図の完成だけでなく、今後もっといろんな情報を足して、改訂版を作成したいと、完成したばかりの冊子を前に早くも次への意気込みを語っていました。

森を守る活動は非常に苦労が多いものです。守る人に収入があるわけでもなく、一方で理解のない村人もいるし、悪徳業者や権力者が貧しい人を雇って木を伐ってしまうことも後を絶たないからです。
冊子には、この自然を守り、これ以上失うまいとの気持ちをこめて、数は少ないですが、村内で見られる、そしてかつて見られたがいまはもう見ることがなくなってしまった魚と鳥の名前も記載されています。

ほとんどが村長の筆跡。地図を作製、これらを合わせてページを振り、冊子に簡易製本するのはLinkがしました。
村長はコピー代を出すといいますが、村で森を守るのと、街にいてLinkのような活動をし、水を使わせてもらうのはお互い様だからと、それは受け取りませんでした。ただし、私たちは村を訪れるたびにご馳走になり、美しい村や山々を必死で守る村人たちにいろいろな話を聞かせてもらいながら楽しく歩き、夜には満天の星空を見せてもらっているので、むしろもったいないばかりの話のような気すらするのです。