2009年12月8日火曜日

こっちの森と、あっちの森?

タイに行くというと、口の悪い友人は「ゾウに踏まれるなよ」とか「トラに食われないように注意しろ」などと言います。しかし実際には野生のゾウやトラがいる場所なんて、タイ全土探したって国立公園などの一部だけ。私は言いかえします。「そんな自然が豊かだったら森を守る活動なんてしに行くか!」

国土に占める森の面積を森林被覆率なんて言いますが、タイの場合はほぼ4分の1しかなく、国の目標とする40%には遠く及びません。それに比べ日本のそれは70%近く。世界屈指の数字です。にもかかわらず世界の木材を大量に輸入し、消費しています。その量は実質、世界一!
問題点を2点ほどあげてみます。

日本に輸出するための木の伐採現場では、しばしば住民の生活が顧みられることなく、ときには「国策」として木が伐られ、地域の暮らしや文化が根こそぎ破壊されてしまうこと。貧困化の大きな原因の一つがここにあります。この上に成り立つくらしを「やめられない豊かさ」として、次の世代にも引き継げばいいのでしょうか?

もう一点は、私たち自身の国の森のこと。人件費が高いから外材が入ってくるのは止むを得ない? そう。コストの問題は大切です。しかしそれだけではありません。日本の森はその多くが人と共にありました。日本人のくらしはタイのそれと同じように、森から多くの恵みを得て成り立ってきました。田んぼの水がそうであり、建材や食べ物、薬や染料まで、あらゆるものが森とつながり、そのために森も人の手によって管理され、維持されてきた。そのバランスが失われ、いま日本の森は危機的なまでに荒れてしまっています。これは日本の文化の継承が難しくなっていることを意味します。森と生きる技術を伝えられる人は年々減るばかり。最近訪れることの多い熊野で森の達人たちに話を聞くたび、日本の森の豊かさに圧倒されると同時に、いま私たちが失おうとしているものの大きさに絶句する思いです。

問題点を2つに分けて書いてみました。しかし実は、「国境」なんてものに縛られずに考えてみれば、説明はもっと簡単。私たち自身のくらしの多様性、豊かさが失われているということになるのでは?
ここには、しばしば私が問われる「なんでタイ?」の答えの一部もあるのです。

写真:熊野の森とチャイプラカン(チェンマイ県)の湿地林