2011年6月8日水曜日

タイの人たちの思い……

東日本大震災は、タイでも非常に大きく報道されました。
チェンマイでも、たくさんの方々からお見舞いを言われ、励まされました。

Linkがもっとも長いことかかわってきたホアファイ村からは、何人もの村人が心配して電話をかけてきてくれました。
スタッフの家族やスタディツアーなどで村を訪れたことのある人の中に被災者がいれば、村に来て休むようにと言ってくれる人もいました。
ホアファイ村小中学校ではすべての教職員と生徒たちが校庭に並び、日の丸と、「震災のお見舞いを申し上げます。みなさまの復興に際して、どうか元気を出されますよう」と書いたメッセージを持って写っている写真を送ってくれました。多くの教員や生徒が亡くなられた方に対する哀悼の意を表すために、頭を垂れているのが印象的でした。

〔写真1〕ホアファイ村小中学校からのメッセージ
※写真をクリックすると、拡大して見ることができます。

テレビをつけても雑誌を見ても、日本へのエールが連呼され、番組の中で、コマーシャルの合間に、繰り返し、繰り返し、義捐金の呼びかけが行われていました。
どの学校でも生徒会や父兄たちが何度も募金活動を行い、どこの町と言わずチャリティーバザーが開かれ、寄付を募るためのコンサートが全国で行われました。
それは震災直後に発生し、たくさんの死者を出したタイ南部における未曾有の大洪水の被害拡大の間にも止むことなく続けられていました。

町でも知人に会うたびに、「いま郡庁でやってきた」とか、「きのう赤十字に行ってきた」と声をかけられました。寄付に行ってきたよ、という意味です。
また、道を歩いていれば誰か彼かに呼び止められては、規律ある日本人の避難生活や復興への姿勢を “絶賛” されました。それは強力な、“がんばれ!”のメッセージに取れました。

地震の直前、Linkが販売しているハンディクラフト製品が、いつものスィードンムン村から届いていました。請求書が入っていなかったので、電話で問い合わせました。
振り込みの準備をしていると、翌日もう一度電話があり、「みんなで話し合った結果、全額を震災復興支援のために寄付したい」と申し出られました。

Linkでは、タイ人スタッフも日本人も、全員が、この震災に際して何かできることをしたいという強い希望を持っていましたが、本拠がチェンマイにあり、今の私たちの力ではできることが非常に限られていることから、最終的にはいま、自分たちがやっている活動に全力を尽そうということになりました。
ただ一つ、受け取った寄付金は責任を持って、Linkなりにもっとも適切と考えられる団体に持っていこうということになりました。

木村の帰国を前に議論を重ね、団体として活動の方向性が似ており、趣旨に共感でき、「地元NPOと連携し、救援物資などの支援から取り残されている被災地で支援活動を行っている」シャプラニールに託すことになりました。
http://www.shaplaneer.org/
きのう、会長の木村が早稲田にある事務所を訪ね、寄付金を渡してくることができました。

       〔写真2〕シャプラニールの事務所で

一日も早く、すべての行方不明の方々が見つかり、それぞれの地域のくらしが復興できますように、タイから、改めて、心よりお祈り申し上げる次第です。         (き)


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